伊賀上野城の紹介1 歴史など | みどりの木のブログ

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伊賀上野城の歴史

現在の伊賀上野城の模擬天守です。

 

筒井氏時代の城(江戸時代は城代屋敷跡)より西の天守を見たところです。

ここが伊賀上野城で一番高い曲輪です。

 

江戸時代の伊賀上野城です。本丸の東側に城代屋敷がありました。

 

伊賀上野城の沿革です。

 

伊賀上野城は、上野盆地のほぼ中央にある上野台地の北部にある、

標高184mほどの丘に建てられた平山城です。北に服部川と柘植川、

南には久米川、西側には木津川の本流が流れ、城と城下町を取り巻

く要害の地です。

 

室町時代
伊賀上野城西の丸と後世に呼ばれることとなる丘陵には伊賀の守護

大名である仁木氏館(伊賀の守護所)がありました。しかし仁木氏は

室町時代半ばから衰退が始まり、戦国時代には名ばかりの守護とな

ります。柘植氏と戦った際には当主が討たれて、遂に仁木氏の生活

は伊賀中部の国人らの援助により成り立つ有様で守護としての権威

はありませんでした。 そのような状況にありながら、仁木兵部少輔は

家宝として茶器を購入したりと、贅沢三昧な生活をしていました。

これに怒った国人らが守護所を襲撃します。仁木一族は信楽へ逃れ

ました。後に、仁木義視が織田信長の援助で守護に返り咲きますが、

国人の支持を得られず再び追放されて、伊賀は反織田となります。

以降の足利氏分家の仁木一族の消息は不明となります。

 

戦国時代
天正7年(1579年)9月に、伊勢の信長次男である、織田信雄が8千

兵を率いて伊賀平定(天正伊賀の乱)に乗り出しますが、伊賀衆の前

に大敗し、天正9年(1581年)9月に、信雄と父織田信長は4万5千

の兵で伊賀を平定します。信雄の家臣である滝川雄利を伊賀守護と

しました。雄利は丸山城、滝川城を改修し伊賀を支配します。

信長次男の織田信雄肖像画

 

安土桃山時代

本能寺の変後豊臣政権となると、小牧長久手の戦いの際に脇坂安治

によって落城させられます。、天正12年(1584年)10月に羽柴秀吉

の家臣脇坂安治が伊賀守護となります。天正13年(1585年)5月に、

脇坂は摂津に移封されて、筒井定次が大和より入封します。大和には

秀吉の弟である秀長が入ります。

筒井定次は上野城を改修して、御殿と3層天守を建てました。

筒井氏の御殿と天守跡です。江戸時代は城代屋敷でした。

 

江戸時代の伊賀上野城です。

 

筒井氏時代の御殿と天守の古絵図です。

藤堂氏時代も城代屋敷として使用されました。筒井氏の天守も

江戸時代初期の1633年まで健在でした。

 

天守跡の碑です。

 

 

筒井氏の天守は1633年の台風で倒壊しました。

 

天守倒壊以後の絵図です。天守はありません。赤丸が天守跡です。


その後天正13年(1585年) に、慶長16年(1611年)に徳川家康の

命によって、藤堂高虎が豊臣氏に備えるため筒井氏の城を西に拡張し

ますが、大坂の陣で豊臣氏が滅んだため築城が途中で中止されます。

大坂方向を見張る五層の天守は台風で、直ぐに崩壊します、以後は建

てていません。

 

江戸時代

藤堂高虎は伊賀上野城に城代を置いて、明治維新まで支配しました。

高虎自身は津城を本拠地にしました。江戸屋敷は東京都千代田区神田

和泉町等にありました。和泉町の町名は高虎の官名和泉守から来てい

ます。高虎は家臣(遊女好きの家臣と博打打ち好きの家臣)が喧嘩をし

たので自らが裁きました。この時高虎は遊女好きの家臣を追放し、博打

打ちの家臣は減知の上、百日の閉門として家中に残します。不思議に

思った側近が尋ねると、高虎は「女好きは物の役に立たないが、博打好

きな奴は相手に勝とうとする気概がある」と答えたといいます。

 

藤堂氏城代時代の伊賀上野城です。

 

現在の伊賀上野城ですが、外堀が全くありません。(グーグルより引用)

 

それで、上の2枚の写真を合成しました。

江戸時代の地図を半透明にして、回転して内堀や天神社の位置に

合わせて合成しました。

 

 

外堀には東西に大手門がありましたので、調べてみました。

最初は西大手門から

ありし頃の西大手門古写真です。明治40年に解体されました。

 

 

西大手門解説板です。

 

次に東大手門です。

ありし頃の東大手門古写真です。

 

東大手門の図面です。

 


1967年に旧城域一帯が国の史跡に指定されました。城を含めた近隣

一帯は上野公園として整備されており、松尾芭蕉を祀る俳聖殿や芭蕉

翁記念館があるほか、伊賀流忍者博物館があり、伊賀上野の観光地

として利用され、各種イベントなどが行われています。

長年日本一といわれてきた、藤堂高虎の高さ約30mの高石垣は、近年

大坂城の方が少し高いとわかりました。三重県立上野高等学校敷地内

に武庫蔵が現存し、米倉は博物館の一部として上野公園敷地内に移築

現存します。天守台にある3層3階の天守は昭和初期築の模擬天守で、

正式には伊賀文化産業城といいます。日本100名城に選ばれています。

 

今日はここまでです。明日に続きます。

 

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