小諸城の紹介2 二ノ丸の徳川秀忠本陣跡 | みどりの木のブログ

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3日おきに更新しています。

昨日の続きです。

小諸城の大手門は四之門と言われます。

一番内側の本丸の門は一之門と言われます。

三之門が一番有名な門で

 

懐古園の額がある三の門です。

 

仙石久秀が最初に建てましたが、1742年の水害で流失し、

1766年藩主牧野康満により再建されました。廃藩後は小山

家が購入しますが、明治13年に懐古神社に寄贈させられま

した。

懐古園の扁額は徳川家達(明治期の徳川宗家)の筆によります。

 

三の門と四の門(大手門)の解説板です。
 

③が三の門です。三の丸の敷地は現在、町家と公園に

なっています。後日紹介します。

 

前回UPの小諸城のジオラマです。

 

門の脇には徳川秀忠が第2次上田合戦で、最初に本陣を置いた

のが小諸城の二ノ丸ですが、三の門の横に「憩石」があります。

この石に腰を下ろして休憩したといいます。背景が三の門です。

徳川秀忠の憩石です。

 

三の門の中に入り横から撮影しました。

 

内側から見た三の門です。

 

中の方に入り撮影した三の門です。

この反対側は

左側が受付入口です。右側の石垣が二の丸です。

 

中に入ると

 

この二ノ丸跡の石垣は復元したもので、

もとの石垣の石は明治4年に北国街道

の整備で持ち去られました。現在の石は

昭和59年の今から30年前に、元の石

より大きめの石で復元されました。

 

右の石垣が二の丸です。

 

さらに進むと

二の門跡枡形です。

 

二の門跡の礎石が見えます。

 

小諸城の地図です。

 

二ノ丸の入口階段です。

 

二ノ丸の入口階段です。

 

二ノ丸跡の解説板です。

第一次・第二次上田合戦、ともに徳川軍の本陣になりました。

戦いが始まった時は、第2次では本陣が染谷台に移動しました。

 

二の丸階段を上がって振り向いたところです。

 

二の丸跡の石碑です。

 

二ノ丸跡です。

 

九官鳥のあべちゃんの動画お借りしました。(40秒)

はっきりと日本語を話しています。電話に出るあべちゃん。

今日はここまでです。この続きは明日UPします。

 

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