真田本城跡の紹介で写真6枚を追加しました。
よろしければ御手数ですが、もう一度見てください。
今日は真田家の信仰が厚かった山家神社の紹介です。
前回の長谷寺から700mほどの所にあります。
この地は条里制の田がある所で、国司、守護職、武門武将より
一般民衆に至るまで 崇敬厚く、特に眞田氏代々の崇敬深く、奥宮
並ぴに 本宮の営繕及び寄進をうけています。仙石氏の上田入部
(1622年)以来、忠政、政俊、政明三代八十五年 間、営繕を始め
祭典費等の寄進をうけ、更に寶永三年(1706年)松平氏上田入部
以後明治四年廃藩置縣に至るまで の間、崇敬深く、祭典費はもと
より、営繕費その他に至るま で、一切藩費を使いました。当時は、
上田城の鬼門除の神、また城の守護神でした。
中世以降、山家神社も当時の神仏混淆の結果「白山大権 現」と
称し、白山寺と融合して「白山様」と呼ばれますが、明治維新(明治
二年)に神仏混淆が廃止され、社名を山家神社に復しました。
二の鳥居と奥に拝殿があります。手前のたいこ橋は暗渠
になっています。二の鳥居の左右にある石灯篭は古く、
貞享3年(1686年)に奉納されたものです。
山家神社さんツイッターを見ると、2016年8月14日に灯ろう祭が
ありました。私は一週間前の8月7日に行ったので見てません。
山家神社さんのツイッターの写真をお借りしました。
山家神社境内図です。
明治35年の山家神社です。
真田神社が本殿の奥にあります。小学校や村役場も
神社の中にありました。
山家神社は古くからこの地域の産土神(守り神)として祀られてきました。
また、近くを流れる神川沿岸に暮らす人々の水分の神(みくまりのかみ)
としても崇拝されてきたといいます。
このあたりが発祥の地と伝わる真田氏も、山家神社を氏神として崇めて
きました。上田城落成後は鬼門除けの神として崇拝され、真田氏だけで
なく歴代の上田藩主(仙石氏、松平氏)も深く崇敬していたそうです。
真田郷の絵地図です。
二の鳥居から先に進むと
参道横にヤマトタケルお手洗いの神泉とあります。
真田七つ井戸の一つだそうです。
ヤマトタケルも祀られていました。
参道を進むと
拝殿への最後の階段です。
山家神社の拝殿です。
山家神社の社殿は、平成に入って屋根が葺き替えられました。
以前の屋根の鬼瓦が拝殿の右に見えます。拝殿の屋根には、
真田家の六文銭の家紋が中央にあり、五三の桐(
とも呼ばれる松平氏の紋)と寛永通宝紋(仙石氏の紋)もありま
す。
拝殿から中の本殿を撮影させてもらいました。
本殿から後ろの二の鳥居方向は
右に見える赤い鳥居が真田神社です。
明治時代の小学校跡にあります。
神仏分離令があり、小学校以前はここに白山寺がありました。
神仏分離令により白山寺は廃寺となりました。
代わりに、ここには真田神社があります。
坂を下りて、真田神社の鳥居前から撮影しました。
真田家の家紋:六文銭・雁金・州浜が提灯にありま
す。ここには戦争で亡くなった方も合祀されました。
近づくと
真田神社です。
六文銭の家紋のように硬貨が供えられています。
大正8年に真田神社が山家神社境内に再建され、以前の真田神社の
屋根の鬼瓦が、今の真田神社横に展示されています。
一の鳥居横にあった、解説板です。
このあと神社にいたお年寄りに、真田家の初め
の館が真田郷真田村にあると聞いてそこに行
きました。次回はその紹介をします。
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