昨日の続きです。
富田林寺内町で一番古い住宅(国重要文化財)の、
杉山家住宅の紹介です。今月23日にこの住宅の
説明会があるので、その時もう一度UPします。
表側南面から撮影した、杉山家主屋です。
左に客用の小出入り口門があり、右に日常の出入り口があります。
杉山家は寺内町創立時以来の旧家で、代々「杉山長左衛門」
を名乗りました。土間部分が1650年頃で一番古く、1747年
頃に現在の姿になりました。明治時代には南河内一番の長者
となり、田畑の所有も60haほどもありました。使用人も70名程
もいたそうです。
1983年12月26日に国の重要文化財に指定され、また同年に
富田林市が住宅を買い取り、解体修理工事ののちに一般公開さ
れるようになりました。相続していた所有者の方は東京に移住さ
れたとのことです。
アニメ作品「涼宮ハルヒの憂鬱」の第23話「涼宮ハルヒの溜息Ⅳ」
に出てきた、鶴屋さんの実家のモデルと言われています。(ただし
左右が反転されている)
下図のように幕末は1区画すべてが屋敷でした。
御坊の寺よりも広いですね。
江戸末期約150年前の古地図です。
下の現在の地図では東側(右側)が
他家の住宅になっています。この部分
には酒蔵などがありました。
グーグル地図からの引用です。
日常生活用の出入り口です。
南西角から撮影しました。左に客用の門があります。
大久保利通や五代友厚が杉山邸に来た話
明治8年12月26日に東京から海路で、大久保利通が大阪に来ます。
第一の目的は、下野していた政界の実力者たちは、ことあるごとに反
政府的な言動をとり、大久保の独裁政権にも、ようやくひびがはいりか
けていた。そこで、大久保は政局安定をはかるため、木戸孝允や板垣
退助を政府に呼びもどそうとしたが、これを知った井上馨や伊藤博文は、
その調停をはかり大阪において大久保・木戸・板垣三者会談をあっせん
したのである」。いわゆる「大阪会議」で、大久保はこのため大阪に来て
いたのである。「大久保につづいて、翌八年1月6日には木戸が、1月
20日には板垣が大阪にはいった」。「三者による“大阪会議”は井上と
伊藤を加え、2月21日、北浜一丁目(東区)の料亭加賀伊で開かれた。」
(前掲、藤本篤著「大阪府の歴史」より)
大久保は会議までに有馬温泉や千早城・楠公生誕地を訪問しています。
明治8年2月6日、維新政府の内務卿大久保利通が富田林に来ました。
前日、午後4時頃、帰宅した杉山団郎氏から6日に内務卿大久保利通
が、大阪の商工業の発展のため活躍していた五代友厚や堺県令らと、
千早城跡に行くため、杉山邸で昼食をとることを聞いた戸長の杉本藤平
氏は、早速、村中へ道路の清掃を申しつけます。6日朝11時に大久保
利通らの一行7名が杉山邸に着きます。一行の中の1人の男が鉄砲を
持っていて、富田林に着くまでに小鳥十七羽を撃って持って来ていた。
昼食をすませると、大久保利通以下三名だけが人力車に乗った。その他
の者は富田林の村の中では、村民の歓迎にこたえるためか歩きました。
午後二時頃、今の河南町の中村に着き、長沢という大きな家で一泊した。
7日に水分村から金剛山、葛城山のふもとで猟をすることになりました。
早朝、寒風を突いて出発した一行は金剛山の峯づたいに千早に出たので
あるが、雪が凍ってすべるため、一匹の獲物もなく、8日正午に富田林の
杉山邸に帰ってきた。昼食をとり囲碁などして、午後3時に古市に向かっ
て発って行った。ところがそのあとへ千早村から雄鹿一匹が杉山邸に届
けられて来た。それで人足を雇って古市まで運ばせたところ、大久保卿
は東京へのみやげにするから大阪の宿まで届けてほしいと言ったので、
富田林からの人足は雄鹿を大阪まで届けて帰ってきた。
千早村では大久保らがせっかく金剛山まで猟に来たのに、何もとれずに
帰るのを気の毒に思ったのか、幸い村の人が撃った雄鹿をみやげに贈
ることにしたのであろう。 真冬に狩は時季外れですね。
大久保は薩摩の人ですが、吉田松陰の宿泊した仲村邸も見学したかも
です。
(寺内町のWebページから引用)
この手前の道は西に行くと
このように坂になって西に続いています。
江戸時代の古地図ではこの道は無かった
ようで、明治につけられた道ですね。
北西角から撮影しました。
さらに詳しくは23日再訪問してUPします。
石上露子の説明板です。
「明星」で短歌デビューしますが、奈良から有能な婿養子
をとって、2人の男子をもうけます。歌の方から遠ざかり
子育てや家業に従事します。男兄弟の無いお嬢様であ
ったため恋愛も許されず家に縛られました。一方、与謝
野晶子の方は、家業が傾いていたため、自ら店番もして
いました。それに男兄弟もあり、自由に恋愛をして生きて
います。長女・長男はつらいです。
この作品は石上露子ではなく、「ゆうちどり」というペンネームで作品を
発表していました。
肖像写真右が石上露子・中央が夫・左が父です。
婿養子さんの家系が短命なのか、2人の息子さんと
夫も若死にしています。
昭和の大恐慌で株が暴落して大損をします。
戦後の農地改革で田畑も失います。
今日はここまでです。続きは明日午後8時半ごろUP予定。
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