落柿舎の紹介 | みどりの木のブログ

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3日おきに更新しています。

前回の続きです。インフルエンザA型にかかり39度の熱で、
昨日はUP出来ませんでした。薬で平熱になったのでUPしま
す。

落柿舎は元禄の俳人向井去来の住居です。去来は芭蕉の門人
で芭蕉の言葉に、「洛陽に去来ありて、鎮西の俳諧奉行なり」と
たたえられました。芭蕉が初めて訪れたのは元禄二年(1689)、
 その後あわせて三度来庵しています。。元禄四年には四月十
八日から五月四日迄滞留し、その間に『嵯峨日記』を書きました。
 現在の落柿舎は、蝶夢門下の井上重厚が、明和七年(1770)
に再建したもので、当時すでに去来墓は現在地にありました。
重厚は嵯峨の人で向井家の支族らしいです。
 去来は蕉門第一
の俳士で、芭蕉の最も信頼した高弟でした。
 向井家の先祖は南朝の征西将軍懐良親王に従って西下し、
肥後国菊池向井里に住んだが、後に肥前に移り、祖父の時長崎
に移った。去来は父元升の次男として長崎で出生します。

去来の『落柿舎記のき』には、庭に柿の木四十本あり、
その柿の実が一夜のうちにほとんどおちつくした。
それが落柿舎の名の由来とかかれている。都からきた商人
が一貫文(約25000円)を出して、柿の実を買う約束
をして帰る。その夜去来が寝ていると「ころころと屋根は
しる音、ひしひしと庭につぶるる声、よすがら落ちもやま
ず」翌朝さきの商人きて「梢つくづくと打眺め、我むかふ
髪の頃より白髪生るまで、
この事を業とし侍はべれど、
かくばかり落ぬる柿を見ず、きのふの値かへしてくれやと
いぶ、いと便びんなければ、ゆるしやりぬ、この者のかへり
に、友の許へ消息送るとて、みづから落柿舎の去来と書き
はじめけり」



落柿舎の説明板です。




落柿舎制札です。(鼾:いびき)






ちょうど柿が熟した頃に来ました。




入口に蓑と笠があるので、在宅だったそうです。
いまは常時かかっています。


屋内には入れませんので、外から撮影しました。


向かって一番右の部屋です。



上の写真の左隣の部屋です。



一番左側の部屋です。


同上


さらにこの左にはお手洗いがあります。



赤い南天がありました。


庭に去来の句碑がありました。

落柿舎の奥には、この次庵があります。昔は無かったと思います。
句会などに利用されています。ひとり700円です。









 落柿舎の西隣は嵯峨天皇皇女有智子内親王墓です。皇女
は初代の賀茂齋院で、当代第一の漢詩人との名誉を得られ
たのは、十七歳の少女の時でした。


嵯峨天皇皇女有智子内親王墓


今日はここまでにします。
明日は去来の墓とか西行井戸紹介です。

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