昨日は御堂まででした。
庭園内に小さな祠・持仏堂がある。この持仏堂は、
現在の大河内山荘の建物の中で、最初に建てられた
ものだそうである。大河内の母親は熱心な仏教徒で、
彼もその影響で仏教に帰依していました。大河内の
妻・妙香も、大分の浄土真宗西本願寺派寺院の住職
の娘(結婚前は私立女学校の女教師)です。
大河内は、関東大震災(1923年)の時から、持仏
堂建設を念願としていました。彼はこの持仏堂を
建設すると、京都での撮影の合間にもここで念仏を
唱え、瞑想し静寂を得たといいます。
周辺地図は
山荘の地図は

大河内山荘の地図(パンフレットより引用
御堂の次は滴水庵です。
後ろが滴水庵です。
滴水庵でした。
茶室としての庵でした。

これは角倉了以の時に紹介した場所です。
松の木の向こうに大悲閣があり、保津川があり、
右の丸い山は小倉山です。小倉山は亀の甲羅
に似ているので、亀山とも言います。
次に、月香という名の休憩所があります。

ここが京都市内展望台です。一番見晴らしのいいところです。
広角で撮影すると
昨日最初に紹介した風景です。
次に京都タワー方面を拡大しました。
京都タワーを拡大すると
さらに、仁和寺の五重塔の拡大写真です。
この休憩所の秋の紅葉写真は

順路で見つけた赤い葉っぱです。
次が妙香庵です。ここは近年建てられた庵です。
同上
同上
妙香庵のお月見台です。

妙香庵の室内では、道元禅師の言葉を書き写せます。
さらに下ると、大河内伝次郎の記念館があります。
お抹茶席です。
最後に大河内伝次郎の略歴は
1898年(明治31年)2月5日、福岡県築上郡岩屋村字大河内
(現・豊前市大河内)に、父・晋と母・アキの5男として9人兄妹
(5男4女)の8番目に生まれる。本名の大邊家の先祖は中津
大江郷の藤原孝範で、代々岩屋村で医者をしていた。父は
その十六代目で、藩主の侍医を勤め、維新後は町医者を
開業した人でした。父方の祖父はやはり医者の大辺耕斎で、
祖母は小倉藩医だった末松玄洞の六女・シンでした。また、
母方の祖父は中津藩士で儒学者の大久保麑山です。
小学校卒業後、大分県立臼杵中学校に入学します。しかし、
1908年(明治41年)5月に父が死去し、家運が傾いたため、
すぐ就職のできる商業学校への転校をよぎなくされました。
1918年(大正7年)に卒業して、神戸高等商業学校を受験
するが失敗し、兄の弘の経営する日光社で会計部長として
働いた。やがて日光社の取引先である明治屋の仕入部に
勤めるが、1923年(大正12年)9月1日の関東大震災で会社
を辞めて引き上げ、再び日光社に勤めました。
同年、劇作家を志望して倉橋仙太郎が主宰する新民衆劇
学校に第二期生として入校する。もちろん脚本家志望だった
が、倉橋に「脚本を書くにしても俳優の体験も必要だ」と言わ
れたことがもとで俳優に転向し、翌1924年(大正13年)4月に
大阪市中央公会堂での公演『天誅組』などに正親町勇の名
で出演した。1925年(大正14年)5月、研究生は新民衆座の
名で帝国大学で野外劇を公演し、大河内も室町次郎の名で
出演しました。
1926年(大正15年)8月、日活大将軍撮影所に入社します。
日活入社時は恩師の沢田正二郎の二郎の字を取って、
芸名を大河内傳二郎としたが、『長恨』公開時に宣伝部の
誤りで大河内傳次郎と表記され、以降は傳次郎で通します。
姓の大河内は、出身地の町名である大河内(ただし読み方
はおおかわち)から取ったものです。
1928年(昭和3年)、伊藤と唐沢のトリオで撮った『新版大岡
政談』で初めて丹下左膳を演じた。元々原作ではあまり重要
人物ではなかったが、この作品では左膳を前面に押し出し、
大河内は大岡越前と左膳の二役を演じた。アクの強い丹下
のキャラクターは大評判となり、刀の鍔を口元に持ってきて
見得を切る「丹下左膳」のキャラクターは大河内のシンボル
となり、彼の当たり役となった。トーキー時代に入ると、少し
地元の豊前訛りのある大河内の「シェイはタンゲ、ナはシャ
ゼン」(姓は丹下、名は左膳)という決めセリフが一世を風靡、
後代まで多くの人々が物真似にする名文句になった。結果、
生涯を通して「丹下左膳」の題名を持つ主演映画は17本を
数えるに到ります。
山荘は戦後、本格的な建築に改められたが、いちばん苦心
したのは井戸だったという。高い山頂での掘削であるため、
地下水脈に至るまで相当深く掘らなければならず、出来上
がった井戸は石を投げ込んで七、八ツを数えなければ音が
しないほどの深さだったという。
1962年(昭和37年)、東京駅で倒れ、京都に帰って療養に
努めたが、7月18日に胃がんのため大河内山荘で死去した。
64歳没。
役者として得た収入のほとんどを、この山荘の造営に使う
という風流人であり、芸人はよく飲む・打つ・買うに走るのに、
そんなことのない敬虔な仏教信者でした。

大河内伝次郎の肖像
(ウィッキペディアより引用しました)
伝次郎映画の紹介動画です。(約37分)
今日はここまでです。
次回は落柿舎の紹介です。
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