難波パークスのイルミネーションと南海ホークスメモリアルギャラリー | みどりの木のブログ

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3日おきに更新しています。

昨日の続きです。
難波パークスと南海ホークス記念室の紹介です。
この難波パークスの敷地は以前は住宅展示場で、
さらにその前は大阪球場でした。

今日は9Fから見たイルミネーションからです





9Fにある滝の上から下を見たところです。



なんばパークスのイルミネーション地図です。

9Fのこの通路を進むと、この先の中央にある、
丸みのある建物が、南海ホークスメモリアルギャラリーです。
右端にある木々のベンチには、デート中のアベックが沢山い
ます。難波パークスはデートに最適の場所ですね。しかも、
建物の中は飲食関係のお店がいっぱいあります。8Fには
映画館もあります。


南海ホークスメモリアルギャラリーの、入口から見たところです。




時間貸しの駐車場も周辺にはたくさんあります。

取り壊される前の、1985年の大阪球場の写真は


右上が南海難波駅です。
上の地図と比べたら、難波パークスが跡地にあるのが分かります。

上の2枚の地図を合成すると


地図の上に球場の写真を半透明にし、縮小回転して、
線路の位置を合わせて合成したものです。

難波パークスには、大阪球場のホームベース
の位置が、記念に表示されています。


ホームベース位置の記念表示板



9Fにある入り口の表示です。

南海ホークスとは
パ・リーグの結成された1950年から1966年まで、
17年連続2位以上、優勝9回と鶴岡一人監督の元
で黄金時代を謳歌しますが、その後低迷を続けます。
1988年にダイエーに身売りとなります。現在はダイ
エーからソフトバンクに球団経営権が移っています。
今なお「ホークス」の名称が使われています。
大阪球場は1998年に解体され、跡地は住宅展示場、
そしてその後、『なんばパークス』として、再開発されま
した。南海時代を知る野球ファンの方は、是非訪れた
い場
所です。ちなみに、選手兼任監督として活躍した
野村克也氏については、
彼に関するものだけは、全く
展示されていません。鶴岡氏との対立もあり、
退団時
に野村氏と球団がもめたので、サッチー(妻)が展示を
拒否したそうです。

背番号71は最後の1988年に使用していた、名投手の
杉浦忠氏のものです。


ショーケースの左側の、古い方の表彰状です。



写真とビデオで、昔の南海ホークスの活躍を展示していました。

 南海・ダイエーで活躍し、「ドカベン」の愛称で親しまれた、
香川伸行氏が2014年に心筋梗塞のため、福岡県内で死去
しました。大阪府出身の享年52歳でした。私も子供の頃の思
い出に、南海ホークス子供の会、会員だったこともあ
り、野村
監督の思い出とか、2軍の選手にキャッチボール
をしてもらっ
たこともあるので、難波パークスに来ると、時代
が変わったん
だなとつくづく思います。

今日はここまでです。明日は御堂筋のイルミネーション紹介です。

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