ニューホライズンズが、冥王星の撮影に成功し、
NASAはその画像を公開しました。
今までははっきりしない画像ばかりでしたが、
今回は鮮明な画像です。人類が太陽系では
一番遠い星に到達した、記念すべき年になり
ました。

冥王星です。ハート形の地形がいいですね。
それでは、今日は河内野田城の紹介です。
野田城という名前の城は全国にありますが、
これは河内の野田城です。
城址にある現地掲示板からです

1326年にこの地の地頭であった、野田四郎正勝により
築城されます。これも、狭山池尻城と同じ館を拡張して、
防備を強化したと思います。
ほでがきやまの古地図です。

昭和7年の撮影です。
撮影者の井上氏は野田氏の末裔といわれ、
この野田城跡の近くにお住まいです。
1333年以前は鎌倉幕府の地頭であったのですが、
1333年に楠木軍に狭山一帯が攻められて、昨日
まで紹介していた、池尻城や半田城とともに落城し
野田氏は楠木正成の家臣になります。
後醍醐天皇と足利尊氏が対立して、1336年に正成
とともに湊川の戦いに出陣します。この戦いは負け戦
と分かるものなので、楠木正成に従い、湊川に出陣し
た武者は500名ほどしかいなかったそうです。正成軍
は壊滅し、この時に正成も正勝も戦死します。
野田正勝の子の野田四郎正氏には、地元に伝わる
伝承があります。
それは正氏が、1348年足利幕府軍が迫って来てい
るのを、千早城に伝える伝令を走らせる一方で、なん
とか幕府軍を野田城に釘付けにして、足止めをさせる
方法はないかと考えて、正氏は少しの手勢を集めて、
押しては退き、退いては押して巧みに、南に進軍して
いた足利幕府軍を、南西の野田城のほうへ引き寄せま
す。家来や野田村の農民を集めて、紙で城壁・城を造り、
のぼり旗を何百本と立てて、大軍がいるようにに見せかけ
ました。実際は正氏と家来が少数いただけで、他の者たち
は、もう別の場所に隠れていました。この間に楠木正行は
千早城で籠城の準備が出来たそうです。しかし、その後
楠木正行と野田正氏は四条畷の合戦に敗れて、ともに
討死します。
1360年には正氏の子の野田正康は足利の大軍に
攻められて、城に火を放ち戦うが討死します。
掲示板の城の部分を拡大すると
この部分を、グーグルの地図にすると

城の部分を赤い点線で囲みました。
最初の掲示板があった所は、①の場所です。

ここは公園になっています
以前は木製の柱だけで、城址表示があったのですが、
今はこのように整備されました。

河内野田城の想像絵図です。
今日は此処までです。
明日は野田城周辺散歩写真と解説です。
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でもまた11位。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。
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