墓地の辺りで低くなっていることについて、再考
してみました。
このあたりは上町台地ですが、上町断層がある
事を思い出して調べました。その結果、真田丸の
上を断層が南北に走っていました。そのために、
地層がずれて低くなったと思いました。
そのことを考慮して真田丸の絵を描きました。
橋があるとそれに敵が引き寄せられて押し寄せる。しかし、
橋の方に行くにつれて、堀があるために狭くなっている、
先に攻めてきた武者は退こうとしても、後から押し寄せた
味方が邪魔になり、鉄砲攻撃から逃げられずに混乱する。
そのために、ここで徳川方は1万人近い戦死者をだします。
これが武田流軍学と、初回に紹介した平山氏(11月1日
UP分)は言っていました。
前回の真田丸の紹介はここのリンクです。
公的な機関からお借りした断層地図は

赤い矢印の断層です。
ちょうど真田丸の上あたりを南北に走っています。
また、下の平野区誌より上町台地が高くなっている
のが分かります。

平野区誌よりお借りしてます。(約2000年前の大阪の地形)
上町台地が南北に細く伸びています。

大坂の陣の頃の大坂城地図です。
それから、今日の風景写真です。
夕やけではなくて、朝焼けの大阪金剛山です。
今日は仕事が終わってから、
千早赤阪村の棚田夢灯り&収穫祭2014に
行ってきました。帰宅が遅れました。
なので、その写真は明日UPします。





