
右が行者岩でその上に弁天堂があります。
左の橋が落合橋です。
現在の長野温泉のグーグルマップでは
昭和29年の長野温泉(河内長野市教育委員会の資料)です。
少し見難いので申し訳ないです。
前々回の錦水楼から黄色い道順に歩きました。

錦水楼の辺りです。左はイズミヤの駐車場で、
その奥の右側に宿の跡があります。その左側
の民家の所有地のようです。

錦水楼の跡地はヘアーサロンとカフェに改造されています。
さらに歩くと

錦水橋(マップにあり)の橋を渡ったところです。
渡る途中、橋の上で南海高野線の鉄橋が見えます。

錦水橋の反対側方向です。イズミヤの左側建物は旧ラドン温泉
という日帰りの温泉施設でした。今は上のグーグル地図下にある
チャーム河内長野という老人福祉施設になっています。
さらに⑥の位置まで歩きました。
⑥から見た写真です。地図の楠翠閣(明治の時の前々回は楠館でした)
はマンションになり、道の左の河鹿荘は民家になっています。
マンションの方に歩くと、石川が見えます。

温泉源を拡大したところです。
温度16.6度Cの鉱泉です。温泉とは25度Cまたは一定量
以上の含有物があるものと定義(昭和23年の温泉法2条)
されている。ここはナトリウム・マグネシウム塩化物泉で、
含有物が基準の1kg中に1g以上あるそうだ。10年ごとに
再検査もある。湧水量は60L/分です。
マップにある宿で分けていたそうです。
昭和8年に長野新地が開発されて、カフェ歓楽街長野新地
として繁盛します。しかし、非公認の風俗営業がはびこって
いたそうで、私が社会人になった頃に、職場で定年間際の方
から、若い時にここで女性と遊んだという話を聞いています。
長野公園の花見や松茸狩りのときに特に繁盛したそうです。
一部の宿で非公認(青線)の売春もあったそうです。
昭和31年の売春防止法で壊滅状態となり、その11月には
青線リストから解除されますが、その後も警察の監視は続き
ます。
また、当時は25度C以下では温泉と言えないということで、
全ての宿が料理旅館となっています。1kg中の含有物も不足
していたかも分かりません。おばな館さんの方に聞くと、温泉
と言えないらしいと言っていました。
現在は河内長野荘だけが泉源を使用して、天然温泉として
営業しています。その他の八重別館さんとおばな館さんは
料理旅館として営業されています。
聖徳太子がこの地にあった極楽地温泉で、病を癒したという
言い伝えがあるので、その歴史だけで温泉地としての価値は
あると思うのです。現在井戸利用の銭湯が冷泉(鉱泉)と分か
り温泉となる例は数多いそうです。

落合橋を渡ったところにある、旅館の跡と思われる建物です。
現在はNPO法人アジア芸術文化連盟さんです。③の建物です。
次の②の建物は誰も住んでいないようです、

入り口の感じからはカフェの跡のようです。
扉にはカギがかかっていて入れません。廃墟となっています。
2Fからはアパートのような使われ方をしていた感じです。
グーグルの地図ではペットビュティー2との表示がありますが、
現在は動物飼育学校関係の所有かと思われます。

このような看板がかかっていました。
さらに④の方向に遊歩道があります。

振り向くいたところです。トタン屋根の小屋は源泉の上
にある小屋です。④の位置で、汲み上げ用のポンプ室か?

左の建物がマップにある三陽荘さんです。今は廃墟となっています。
長くなるので今回はここまでとします。











