大石内蔵助とその家族は赤穂城明け渡しの後、
京都の山科に移住しています。その旅は船
で大阪に移動しています。
赤穂出船の地である赤穂御崎に行きました。

大石内蔵助は1701年6月中頃に妻子を送り出し、
自らは6月25日に出航します。ここにあった老松
を見返り名残りを惜しんだといいます。

正面方向には家島諸島が見えます。
『播磨国風土記』揖保郡の条に「人民、家を造りて居り、因って、
家嶋と呼ぶ」とあり、現在の家島諸島を「伊刀島」と総称してい
ました。神武天皇東征伝説においては、嵐を避けてここに寄港
した際に波の静かさを家の中のようだと例えたという説もありま
す。
この家島町は真水が乏しかったので、今は赤穂から海底送水管
を使い送水しています。
この岬には伊和都比売神社があります。

神社の説明板です。航海の安全を祈願するといいようです。
東郷平八郎が祈願に来たようです。
海に沈む夕日がきれいと評判なので、
この神社の横にある銀波荘で一泊しま
した。

銀波荘さんのパンフレット写真を借用してます。
これまでの赤穂紹介の場所もあります。
赤穂海浜公園の紹介はここのリンク
赤穂城の紹介はこのリンク
赤穂城の紹介その2はこのリンク

宿の部屋から見たところ。プールの向こうに露天風呂が
見えています。
あいにくこの日は曇りで夕日が見えませんでした。
しかし、天気が良いと下の写真のような絶景が見え
るそうです。

宿にあった写真を借りてます。
風呂場の撮影禁止なので、パンフレットの写真を
お借りしました。
ここから夕日が見えるそうです。あいにくの天気で
風もありました。夜この露天風呂に入り、湯ぶねに
浸かると湯ぶねと海の境が見えなくなり、海と一体
感があります。海の波が岩に砕けて、白い飛沫が
跳ね上がるのが見えます。、これが銀波荘の銀波
の由来かと思いました。
温泉は少し塩分を含んでいます。温泉水は低温な
のか、温度を下げるための加水はしていません。
夜の料理は

薬膳がゆ
これらの他にも御つくりとかてんぷらなどもあったのですが、
これくらいがメインです。
夕日が日本夕日百景に登録されているらしいので、
今回見れなかったのが残念です。
赤穂の紹介はこれで終わりにします。












