の紹介です。

高野街道のバイパス道です。写真左奥の方に吉年家の長塀がみえます。

さらにバイパスを進んだ所です。
石段を上がって南から正面の長野神社を見ると、
下の写真のようになります。

正面鳥居の奥に本殿があります。写真左の大木はかやのきで、
右の大木は吉年家の大楠木です。右端の土色の蔵は吉年家
の蔵です。

この本殿は天文12年(1543年)頃に建てられたと考えられている。
江戸時代は木屋堂の宮(こやどうのみや)、牛頭天王宮(ごずてん
のうのみや)と呼ばれていたが、慶応4年(1868年)から長野神社
と呼ばれるようになった。本殿は国の重要文化財、境内のカヤの
古木は大阪府下最大で府の天然記念物です。鎌倉時代には京都
の上皇や貴族の高野参詣の巡路は、京都の鳥羽より舟で淀川を
下り、四天王寺で入堂・宿泊し、翌日は堺から西高野街道に入
り、河内長野・三日市を経て「紀伊御坂」(紀見峠)を越え、
九度山慈尊院の高野政所に宿泊しました。正和2年(1313年)
8月の後宇多上皇の仙幸では、午前4時に四天王寺を出て、午
後10時に慈尊院に到着します。1日の行程は18時間を要し
、距離は約50kmもあります。当時は三日市宿もなく、中間
地点で行幸列の昼食と人夫・馬の交代が必要でした。1000
人を越える行幸列の、昼食休憩と人馬交代の施設として「河内
国木屋堂」が出来ます。なので、江戸時代まで「木屋堂宮」と
呼ばれた長野神社本殿は、木屋堂の鎮守として誕生したと考え
られます。

写真は五社で、本殿の右側にあり熊野宮、多賀宮、八幡宮、春日宮、高良宮を
合祀しています。

さらに右側には菅原道真を祭る社もあります。
後ろの蔵は吉年家のものです。

神社の社務所です。
この神社の祭りとしては、長野戎神社ともいわれ1月10の
10日恵比寿の日には露店が立ち賑わいます。

10日恵比寿の長野神社入り口の石段(最初の写真)です。
その他の祭りとしては、毎年10月11日の
松明神事があり、直径1.5m高さ5mの大
松明に点火する神事です。
松明神事の様子です。終戦前は神様が迷わずに
この地に来れるようにと、夜点火したそうですが、
今は防火のこともあるので、昼に点火して夜に
なると消しているそうです。
明日は天野酒を紹介する予定です。


