真田幸村(信繁)の大坂城真田丸攻防 | みどりの木のブログ

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 今回は大坂冬の陣1614年(慶長19年)で有名な
真田丸についてです。真田丸正面には前田利常率いる
兵12,000の他、南部利直、松倉重政、榊原康勝など、
天王寺口には、井伊直孝の兵4,000、松平忠直の兵
10,000が布陣していました。真田丸には真田信繁
指揮の兵5,000、天王寺口には木村重成、後藤基次、
長宗我部盛親など、兵12,000が布陣しています。
真田隊の挑発にのって、前田隊武将が真田丸を攻撃しま
す。この時に大坂城内では火薬庫の誤爆(作戦か?)が
あります。攻撃が始まったと勘違いをしてしまい。
 それをきっかけに前田隊・松平忠直隊・井伊隊が先陣
争いで、大坂城に押しかけますが。鉄砲を防ぐ盾装備
の準備が無く、どんどん討ち取られますが、家康の命令
で退却します。この後、家康は外国製大砲で城内を攻撃
させて和議にしています。幸村も大砲の進歩までは計算
出来無かったようで残念です。古図により大坂城の天主
は現在より城の中央にあります。1453年にコンスタ
ンチノープルが、オスマントルコの8m大砲で陥落した
衝撃から、西洋では大砲の研究を150年がんばってい
た。

真田丸は、「大坂城玉造御門の南、一段高い畑の
あった所に、三方に空堀を設け、塀を一重にかけ、
柵を三重に付け、櫓や井楼があった」(『大坂
御陣山口休庵咄』)。
また、「その形は新月に似ており、周りに空堀を
巡らし、東西に長く南北に短かった」
(『武徳編年集成』)。


慶長年間の古地図の南西に絵がかれている。正面が
前田利常隊で、その左に松平忠直隊と井伊直考隊が
布陣していた。

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真田丸 border=


私の真田丸の想像図(こんなに立派ではないと思います。)
堀は空堀だったようです。



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江戸時代の大阪城の模型で一番外の総掘りはありません。

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現代の鉄筋コンクリート製の大阪城天守閣

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大手門の虎口前