今日は南北朝時代に楠木正成と同族であった、
和田(みきた)家についてです。
和田を太平記では「にぎた」と読んでいます。
そして、この和田川沿いを美木多(みきた)と
現在も呼んでいます。発音がよく似ています。
近くには美多弥神社が古くからあります。なの
で、この川筋が和田氏の本拠地だったと思われ
ます。下の地図は泉北ニュータウンですが、3
本の川沿い(赤く囲んだところ)にそれぞれ
旧家があり、他の2家は以前紹介しました。
丘とあるところは開発されて、住宅地(泉北
ニュータウン)になっています。
泉北ニュータウンの地図
和田川と遠方に和田家の屋敷(非公開)が見えます
和田家の家紋は楠木正成と同じ菊水の紋(屋根にあり)です
幕末に絶えたけれど、同じ血筋の方に家名を再興して
もらったという石碑と、後ろが和田家の屋敷
美多弥神社の正面
有名な人に和田賢秀がいます、彼は正平三年一月五日
楠木正行公が、四條畷で高師直の大軍と戦い討死した時、
共に戦って戦死してます。
伝説によると賢秀公討死の際敵の首に噛み付き睨ん
で放さず敵はそれが因(もと)で死んだ。と太平記に
書かれています。噛む力が強いので、歯神さんと呼ば
れます。
そのほかに大阪岸和田市に同族の和田家があります。
岸の和田ということで、岸和田の地名となってます。
その他に、前回の烏帽子形城城主の甲斐庄さんも、
楠木氏と同族と名乗っています。
最後に追記として、大阪には別に和田氏の本家という
家もあります。なので真実100%では無いかもです。




