沢山のエネルギーを共有させてもらいました。
カベール岬へ一人自転車をこぎながら進みました。
着いた時、そこへはお車で来ていたご家族が。
大きな車椅子から抱っこされた男の子。
ママに抱っこされ 足場の悪い場所を降りて行きました。
私はそこに到着し、自転車を止めて歩きました。
男の子はきっとうちの息子と同じくらいの歳だと思います。
歩くことは出来ないですし、食事も介助がないと一人では出来ない様に感じました。
その男の子がママに抱っこされ降りて行くと 大きな大きな喜びの声を上げていました。
なぜかその声を聞いた瞬間に私の体には喜びが溢れて来ました。
その彼の喜びときっと共鳴したのだと思います。
嬉しいね。楽しいね。
幸せだね。
最高だね〜!
そんな風に 私には聞こえ 思わず
「あ〜いい声」
そう呟きました。
私の隣にはきっと男の子のおばあちゃんだと思いますがいらっしゃいました。
とても若いおばあちゃん。
その方に聞こえた様で(当たり前ですね そこには2人しか居ないのですから) お互い会釈しました。
その方が 「ここ 何も無いですね〜」(苦笑い)
そうおっしゃいました。
そう。この島には 本当に何もないのです。
自販機も 港の近くに一つか二つあるだけ。
とても小さな神の島です。
私は
「そうですね。何も無いが沢山在りますね。
とっても 沢山の物がここには溢れてますね」
そうお返事しました。
陰陽を表現する時、良い悪いを例に出す事がありますね。
陰はマイナスや悪や黒など。
陽はプラスや良しや白など。
それらを感じる時の印象がやはりあるから、元気でいよう、陽でいようとする風潮があります。
でも、陰も大切なもの。
なぜなら 陰が無ければ陽は感じられないからです。
でも、そうではなく その先があると思ってます。
自分の中のマイナスを愛そう。
マイナスすら自分なんだよ。マイナスに勝つとか負けるとかでは無く、それを愛そうとします。
でもね、マイナスを愛するってどうするのでしょう。
愛する事を 陽として扱っている。
すると マイナスを愛するって、マイナスを陽だよ。ってしようとしてるんです。
だから、結局、陰陽に分けてる。
この島には本当に何も無いって言われます。
今私たちが暮らす上で必要としているスーパーも無ければ コンビニも無い。
銀行も無い。
でもね。
何も無いが沢山沢山あるんです。
だから 無いもある。
ただ在る。
見えないものが沢山沢山在るんです。
空気も見えないけど在る。
なんなら、空気なんて見えないけど、何よりもこの地球上に在るものでは無いでしょうか。
無いも あるも 良い 悪い ではなく
ただ 在る。
陰も陽も ただ在る。
この久高島で感じる事 自分が何かを怖いと思う事も ただ感じる。
自分が何かを好きだと思う事も ただ感じる。
体がある 私達人間だから 感じる 体験する事が出来る。
それら全ての感情を ただ在ると知る事。
そこまで感じられるようになると
色んなものが 感じられるし 感じる力も増える。
そんな風に思います。
久高島へは また行きたいと思います。







