ずーっと学級閉鎖が続いている我が家です。
クラスのお友達 大丈夫かな〜
そんな中 私は 損保の試験がありましてね
一緒についてきて最長で2時間待っててもらいたいって
お願いしたら、「え〜。でも、いいよ」と。
たくさんの本やお絵描きできる道具を持って
一緒に来てもらったのです。
以前 もっと小さいころ(5歳だったかな)
とあるセミナーに家族で1日参加することがありまして
机の上で折り紙したり お絵描きしたり
おむすび食べたりして 一緒に参加して
ママとパパの真ん中に座って待っててくれたの。
休憩中は思う存分彼の好きなことをさせてあげてね。
そしたら ちゃんと1日のセミナーに参加できた。
どうして待てる子になったのかな?って考えるとね
私、息子にありがとう^^って感謝することが多いんです。
「待っててくれてありがとう」
「おかげでママ助かったよ」
そう伝えることばかり。
それはもちろん意識をしてそうしていました。
でね
今日も試験中待っててもらったら
お友達に「うちの子だったら絶対待てないな〜」と言われました。
そしてね
先ほど書いた そのセミナーに1日付き合ってもらったブログを書いた時はね
わざわざメッセージくれた方がいたのです
『子どもを1日セミナーに付き合わせるなんて可哀想ですね。
親として信じられません。(的なこと書かれました。)
考え方が合わないので 読者登録を解除させてもらいますね』
え、そんなんわざわざ言わんでええから・・・
ってなりましたけど、その方のブログ見に行きますよね。もちろん。
子育てを楽しんでいるけれど 小さなお子さん育てながら
イライラしてしまっている自分を責めていたりしていましたね。
あぁ、わかるよ〜って思うところもいっぱいありました。
大変だと 相手の気持ちまで考えが及ばないよね。
そして 子どもを待たせることへの罪悪感があるんでしょうね。
きっとね そういう方は子どもへの声かけは
「待たせてごめんね」「待っててくれたの〜偉いね〜」「すごいね〜」
なのでしょう。
これって 子どもは言われると それをもっとくれ もっとくれってなってね
偉いね〜すごいね〜をもらうために頑張ります。
頑張らないともらえないから。
でもね 私は 生まれた息子をいつだって一人の人間として
対等に扱ってきました。
(これ もう 何度も書いてるから知ってる方も多いよね)
そうするとね 相手は子どもだけど子どもじゃない。
伝える言葉は「ありがとう」なんですよね。
「待っててくれてありがとう」
「感謝しているよ」
「おかげさま」
そうすると 息子は 相手の喜ぶことをして
僕は感謝されたんだって育つんです。
僕のしていたことが 勝手に感謝されている
その時間が 嫌な時間ではなくて
自分の時間を過ごすことに変わるんですよね。
「ごめんね待たせて」 って伝えると
僕はパパとママの間に座って絵を描いたり
楽しいことをしていただけなのに・・・
「すごいね〜」って伝えると
え?僕 何か凄いことしたの?
でも褒められて嬉しい!
次も褒めてもらおう!
とか、ご褒美もらえた!
とかになる。
でもね
「待っててくれて ありがとう」だと
僕はママとパパのそばでいられて幸せだった
それなのに感謝もされた
今日の場合だと
僕は本を読んで楽しく待っていた
少し寂しかったけど、
僕の時間を過ごしていた
それなのに感謝もされた
自分が相手への自然としていることが
相手からの感謝になっている
そんな感覚を育てるのは
こういう声掛けからなんだろうな
そう思っています。
心の中で
こんなにしているのに
こんなにしているんだから 感謝して
そんな感覚を持ってしまうのは
相手への感謝の押し付けになっていたりするから。
子どもへの 声掛けで 気づくこと沢山あるよね。
ありがとうという 感謝の輪を
自分も子どもも 一緒に過ごす相手へも
伝わっていくのだろうと思います。
