こんにちは。内科医 ひとちゃんです
クリスマスまで、あと、2週間程度となりましたね。皆さんにサンタクロースは、来るのでしょうか
さて、スーパーコンピューター開発の「ペジーコンピューティング」による助成金詐欺事件、これは、悲しい知らせでした
社長の斎藤氏が、新潟大学の学友だからです。世界一のスーパーコンピュータを作り上げる執念を燃やしていることは、知っていました。そして、
実現し、「仕事の流儀(?)」という番組にも主演予定だったそうです。
彼とは、学友時代に一悶着が、ありました。しかし、今となっては、懐かしい思い出です。まあ、それ以来、あまり、口をきいた覚えは、ありませんがね。
学生時代、私は、ビリヤードサークル「ワシントン・クラブ」の会長をしていました。
新潟市にある各大学を横断するサークルでしたのて、120名程度の若い学生で、構成され、半数は、女子大学生もいて、それは、それは、華やかなサークルでした
他学部の友人 4人で、ビラを配るところから、始めましたのて、発案者である私が、会長となることになりました。
バスを借りて、軽井沢に行ったり、新潟市の1番広い座敷を貸し切って、宴会を開いたりしましたね。
座敷の上座の真ん中に私が座り、両端に100人以上の学生の座席の列は、壮観な眺めで、そこから、笑い声が起こるのを見るのが、とても好きでしたね。
こんなことは、後にも先にもないでしょう。私が、22歳の頃でしたから、約30年前のことです。
私の役目は、皆にビリヤードの技術を教えることと、会員の学生のアルバイト先を探すことでしたね。
家庭教師のアルバイトから、バーテンダーの見習いまで、多岐に渡りました。
「交通遺児を支援するためのビリヤード大会」を開催した時は、私の開会の挨拶が、地元のテレビ局のニュースで流れることも、ありましたよ
今となっては、自分でも、可笑しいのですが、ちょっとした若手実業家を気どっていましたね
新潟市内の新しいビリヤード絡みのお店の構想があると呼ばれ、サークルで、サポートしてほしいとかね。
こんなお店のアイデアがあるが、どうかとかね。それは、それは、いろいろなお話を頂いていましたよ。
ポール・ニューマン、トム・クルーズが主演の「ハスラー2」が公開となったこともあり、それぐらい、空前のビリヤードブームだった時期ですね。
暫くは、「ワシントン・クラブ」も穏やかな年月が経ちましたけれど、そんな時に、私のアパートに突然、やってきたのが斎藤氏です。
斎藤氏は、私の面白げなサークル活動を見て、男子が医学生だけのビリヤードサークルを作った中心人物でした。
会長は、M氏という医学部でボス的存在で、宝石商の息子とか、言っていましたっけ。
M氏は、新潟で最高級マンションに住んでおり、いつも、彼の取り巻きがいて、まさにサラブレッドという感じの医学生でした
彼は、何を話しに来たのか?
要は、斎藤氏の作ったビリヤードサークルとの合併の話です。「M氏の軍門にくだれ」という脅しでした。
M氏が、会長のサークルの副会長となり、合併しろという話をしに来たのです。
私「?????」
私「それは、オレにとって、どういうメリットがあるの?」
私は、半ば、呆れながら、質問しました。
斎藤氏「Mさんの庇護を受けて、うちら(セレブ)の仲間に入れてやる。」
私「はぁ?」 「別にオレは、庇護してくれなくてよいけどね。」
斎藤氏「もう、ワシントン・クラブから、こちらに移りたいという者もいるし、小笠原は、もう、新潟では、ビリヤードができなくなるぞ」
私「はぁ?・・・・・・・おまえ、ナニ、言ってんの?」
腹ワタが、だんだんと煮えくり返ったが、私は、笑顔で、
「よく、理解できた。それもイイかもね」
斎藤氏は、この上なく喜びました。そして、それが私にとり、ベストな選択だと。満面の笑みを浮かべたのでした。
そして、1杯のコーヒーを飲み終わると
「有意義な会談だった。宜しく頼む。」
と言って、満足そうに返って行きました。手には、学生には、似つかわしくない、分厚い革の手帳を大切に抱えてね。
この会談から、数ヶ月後、斎藤氏のサークルは、解散したのだと思います。彼のビリヤードサークルの活動できるお店が、新潟市内に1店舗もなくなったからです。
そして、3年後、ボス的存在のM氏は、医師国家試験に落ちました。
斎藤氏は、あの頃のまま、今迄、突っ走り、世界一のスーパーコンピュータを作り、社長となり、バブル期のような日常を送っていたんだなぁ〜としみじみ、思いましたね。
彼は、私の最後の言葉を覚えていなかったのだろうかと思います。
「自分の見えている世界の外には、格段の未知の世界が存在する」
「時の権力者に従順であっても、明日のことは、誰も予測できない。
どうせ、高転びに転ぶなら、自分の信じる道で、転ぶなら、どんな結末であっても、納得できるだろう。」
と言ったはずである。そして、斎藤氏1人が、ワシントン・クラブに来ればよいと誘った。
だが、後ろ姿のまま、片手を上げただけで、私のアパートをあとにした。
「因果応報」・・・・である。
斎藤氏との会談(?)の後に、何が起きたのかは、また、いつかの機会にお話をしたいと思いますね
ただ、新潟市内のビリヤード店のオーナーさんや経営者の方々との信用と信頼関係を築いていたことが1番の武器となったのは、事実でしょうか。
そして、翌日、彼と会うまでには、すべてのシナリオができていて、準備万端であったことが、良かったと思いますね
世の中、スピードも大事です。
すべて、過去の若い頃の話ですから、今は、1日でも早く、斎藤氏が、釈放されることを切に願っています。
それでは、また
内科医 小笠原 均
医学博士
リウマチ学会 専門医、評議員
内科学会 認定医
緩和ケア資格取得医


