此のたびは
ぬさもとりあへず
手向山(タムケヤマ)
もみぢのにしき
神のまにまに
管家(カンケ)
◯一般的な解釈
この度の旅は
幣(ヌサ)を捧げることもできません。
とりあえず
手向山の紅葉を捧げます。
神の御心のままにお受け取りください。
・このたび
度と旅の掛詞。
この歌は宇多上皇が奈良に大旅行をした際に、同行した道真が呼んだ歌である。
・ぬさ
木綿や錦の切れ端で作られた、神への捧げもの。
・とりあへず
以下の①と②の掛詞になっている。
①取り敢えず
②「とる」は捧げる。
「〜あふ+打ち消し」で〜しきれない。
紅葉のあまりの美しさに、持参した幣は捧げることができない。
・手向山
神に手向けをする山。
固有名詞ではない。
・紅葉の錦
紅葉の美しさを着物の錦織に見立てた表現。
・神のまにまに
神の思うままに。
◯山口志道の解釈
此の度は
此の山を見ますと
今まさに紅葉の錦のようでありまして
その錦をそのまま
神の御こころのままに
手向けます。
いつもは五色の幣を奉りますが
今日ばかりはこの紅葉の錦に劣りますので
私の幣は奉りません。
・幣
昔の人は、旅のときは五色の紙などを細かく切って幣にして捧げた。
・とりあへず
アヘ→エとなり
トリアエズ→トリエズ
取得ず(トリエズ)の義。
いらない、不要という意味。
ここでは私が用意した幣は必要ないの意味。
とるを捧げるという意味に取るのは間違い。
取り敢えず、さしあたってという解釈があるがそれも間違いである。
・手向山
旅の安全を道の神に祈る際、
幣を手向ける場所を手向山と呼ぶ。
◯一般的な解釈と志道の解釈の違い
・幣は白いものという認識がありましたが昔は幣と言ったら五色だったようですね。
・とりあへずの解釈が一般的な解釈と違うようですね。
漢字にすると取り敢えずになるので志道の解釈の方が正しいと僕には思えました。
あなたはどうですか
◯管家 かんけ 845〜903
菅原道真。
文章博士。
太宰府に左遷されてその地で没したが死後、北野天満宮に祀られ、今は天神様として信仰されています。
北野天満宮
京都市上京区馬喰町
この百人一首シリーズでは江戸時代の国学者、山口志道著「百首正解」を現代人にもわかるようまとめています。
山口志道は言霊や神代学に精通しており、ひふみ神示の岡本天明や合気道開祖の植芝盛平、大本の出口王仁三郎らに多大な影響を与えています。
鷹屋敷洋史
参考図書
・「百首正解」山口志道
・「原色小倉百人一首」文英堂
鈴木日出男 山口慎一 依田泰 共著
・「ちはやと覚える百人一首」講談社
漫画 末次由紀 著 あんの秀子
・「千年後の百人一首」リトルモア
清川あさみ+最果タヒ




