山岡鉄舟は江戸無血開城を成し遂げ
江戸を火の海から救った救国の士だ

官軍は、鳥羽伏見の戦いに勝ち
すでに静岡の駿府城まで来ていた
次は江戸城進撃
それが実行されれば
当時、百万都市の江戸は一面火の海となっていた


山岡は西郷と面会するため
官軍が警備する真っ只中をたった一人で

「朝敵徳川慶喜家来、山岡鉄太郎まかり通る!」
と大音声で堂々と通行した

会談が終わってから
大西郷にしてこういわしめた

「徳川公は偉いお宝をお持ちだ
山岡さんという人は
どうのこうのと言葉では言い尽くせぬが
何分にも腑(ふ)の抜けた人でござる

命もいらぬ、金もいらぬ、名もいらぬ
といったような始末に困るひとですが
あんな始末に困る人ならでは
お互いに腹を開けて
共に天下の大事を誓い合うわけには参りません

本当に無我無私
大我大欲の人物とは
山岡さんの如き人でしょう」
(西郷南州遺訓より)



若い頃の山岡を評して
江戸でこんな俗謡が流行った

『下駄はビッコで
着物はボロで
心錦の山岡鉄舟』


外見など構わぬ
山岡は一刀流の達人で
さらそれを禅で鍛え上げた

禅は13才から始め
三島の龍沢寺の星定和尚に学んだ
和尚から、大悟を許された時の心境の和歌
 
「晴れてよし
曇りてもよし富士の山
もとの姿はかわらざりけり」

130キロ離れた三島の龍沢寺に参禅するため
夜間に江戸から往復したしたという


後に西郷の推挙により
山岡は後に明治天皇の侍従となった




災難に逢う時節には
災難に逢うがよく候(そうろう)
死ぬ時節には、死ぬがよく候

という有名な良寛さんの言葉がある

我々は事に臨んで
ジタバタする
我が出る
欲が出る
名誉心が出る
物惜しみし
命も惜しむ

しかし…
命もいらぬ
金もいらぬ
名もいらぬ


そんな
胆の据わった
それでいて腑(ふ)の抜けた人は
どうにも始末に困る

腑抜けというと
悪い意味でしか捉えられないが
何か大きなことを成し遂げるには

ふっと、何かが抜けていることが
必要なのかもしれない