実は、伊那谷にゆかりのあるゆみこさん
https://ameblo.mom/hinataya21/entry-12540667652.html
つぶつぶとの出会い
https://ameblo.mom/hinataya21/entry-12540957628.html
何もわかっていなかったんだ
https://ameblo.mom/hinataya21/entry-12541375169.html
3.11東日本大震災を受け、
「何もわかっていなかった」ことに気づき、もう一度学び直そうと思う。
「未来食セミナーScene1」を再受講
https://www.tsubutsubu.jp/LP/scene1/
天女セミナー、天女スクールと進み、「つぶつぶ料理コーチ」養成講座を受け
https://tsubutsubu.jp/seminar-tennyo/
2015年に「第一期つぶつぶ料理コーチ」となりました。
ヒナタヤの営業の傍ら、レッスンを開催していました。
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1964年(昭和39年)伊那市の隣村で生まれました。
父、母、祖母、姉、私、弟、という家族構成。

父と母は、結婚式の当日が初顔合わせだったそうです。
中沢(駒ケ根市)生まれの母は、峠を越えて四徳(中川村)の父の所へ嫁ぎました。
その数か月後、
上伊那下伊那を襲った集中豪雨「三六災害」で流され、
私が(生まれ)育った現在の地に「集団移住」をしました。
私が小さい頃は、田んぼは集落の共同作業。
子どもたちも年寄りも労働力でした。
テレビや洗濯機や掃除機などが、一つ一つ増えて行った時代です。
父は、災害後30歳過ぎて初めて勤めに出て、母も内職で私たちを育ててくれました。
高度経済成長と結びつき、共同で行われていたことが少しずつ解体して行った時代です。
集団移住をした隣の集落を歩くと、大きなお屋敷や蔵の家々が並び、
母は私に「蔵のある家にお嫁に行けよ」と言ったものです。
何もかも流されての、一からの暮らしは苦労の連続だっただろうと。
今年の春、そんな思い入れのある自宅で父を送りました。
もう父も母もいないし、子どもたちも大人になったので。
「集団移住」するような土地は、生活するには不便なところなんですよね。
集落一つ引っ越せて田畑も続けるとなると、そうなんでしょう。
学校や駅、町までとてつもなく遠いんです。
小学校3年生のある夏の日、通学路での帰宅途中のこと。知らない男の人に。
その後、警察が家に大勢来たり、病院に連れて行かれたりして、事の重大さを思いました。
そもそも「被災した人たち」という中で暮らし、
「お金が無い」が合言葉のように常に家庭の中にある中で、
そんな理解不能なことが自分に起きたんです。
なぜそんなことをされたのか、
それは私が女だったから。
私に擦りこまれた「(女であることの)被害者意識と(女である)罪悪感」の根の深さ。
このことが、これからの私の何に影響するのか、
たくさんの感情に蓋をするように、忘れたかのように、
でも「そのこと」はいつも私の隣りあわせにあり、
毎日歩く通学路は怖さに変わっても、その気持ちにさえ蓋をしていた。
今になってわかるのは、
問題だったのは、自分の気持ちを感じることに許可(自己肯定)を出せなかったこと。
言いたいことを喉に詰まらせながら、
間違ったことを言ってはならないと用心し、
言ったことは後悔し、
親や周囲の顔色を見て、
誰かに受け入れてもらいたいと渇望し、
受け入れられないと
自信を無くし、
心から受け入れられる現実を求め続けた9歳からの青春期でした。
(一方ではいいことや楽しいことも沢山あった普通の青春期でした)
2001.9.11後、市民活動をしていたのは、長女が小学校1年生のころからと合わさります。
やがて3年生になる長女に対して、とても不安定な時期でした。
見て見ぬふりをしてきた「不安」や、
生きにくさはこれだったのに意識もしなかった「自己否定や罪悪感」が、
「怒り」という形で溢れだした時期だったと思います。
そんな中で「つぶつぶ」に出会い、光を見たのでした。
<続きます>
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