こんばんは

伝説を深掘り 最近流行ってますね。


私も伝説深掘りは大好きですが

色々調べた

皇女和宮の話

一時期恒さんと共著で本をだそうと

調べ上げたことがありました。


最近巷で、和宮さんの左手首が

玉鉾神社にあるという噂

誰かがYouTubeで話してますが違う話を

私は出口恒さんに聞いています。


幕末に孝明天皇の妹として生まれた和宮は、
19歳で徳川14代将軍・家茂に嫁いだ。
政略結婚として有名な話だが
死後80年ほどたって芝増上寺の墓が
発掘調査された際、和宮の副葬品として
一枚のガラス板写真が見つかった。

ところがガラス板に写っていた若い男性らしき


画像は、外気にふれたためか、


まもなく消えてしまったという。


そこに写っていたのは夫の家茂だったのか。


それとも・・・?熾仁親王だったのか?


という話。


それよりもこの事件は、もう一つの話題をわれわれに提供してくれることになった。すなわち、画像の人物は本当に家茂だったのか――ということである。

和宮には家茂とは別の婚約者がいた

有栖川宮熾仁親王と和宮は幼い頃から

婚約をかわしており、実際、結婚の直前まで

進んでいた。それが、政略結婚の話がにわかに

持ち上がり、有栖川宮との婚約は解消されて、

家茂に嫁ぐことになった。

後の話は歴史で知ってる方もいるでしょう。

故に省略しますが

増上寺の墓を発掘すると

和宮の左手首から先がないまま

埋葬されていたそうです。


なぜ、左手の手首から先の骨が見つからなかったか?



ざんざん


調べられたこの状況は


色々あり、後に詳しく語りますが




私は調べて調べてわかったことが


たくさんあります。


必ずYouTubeで語ります。




最後、手首の骨は


亀岡のある場所に埋葬されています。


この件は、秘しておかなければ


ならないことがあり


明治政府、徳川家、天皇家に関与しているから


公にできないのです。


あの時代、どうにもならない


国の事情があったのです。




和宮の左手首の骨は


知多にある 孝明天皇を祀る玉鉾神社に


あると誰かがYouTubeで話てるようですが


違います。


和宮が愛した熾仁親王殿下の血を


わけた子、出口王仁三郎の郷


亀岡にあると、出口王仁三郎の孫 和明氏は


言っています。



私もそう思っています。



歴史の中に 人の想いまで


葬られるのは悲しい。



間違いを正しながら


歴史考察をしたいものだと感じます。













マリア