歴史から探す
歴史ほど
真実が曖昧なものは無いと思う。
常に為政者、勝利者が
自分らに都合よく話をするから
結果が変わる。
歴史の中身はいまとちがって
便利なものが無いからこそ
いくらでも改竄できる
大河ドラマ『豊臣兄弟』を観ながら
この話を知っているだけに
いつも明智役の顔をマジマジ観てしまう。
出口王仁三郎師は
明智光秀の秘密を述べていて
ひ孫の出口恒さんに、
散々聞かされた話しでした。
瑞霊に倣いてさんの記事から
出口聖師は水鏡に、「千の利休という人は、明智光秀の成れの果てである。明智光秀は山崎の一戦にもろくも敗れて、ついに名もなき一士兵のために竹槍にてつき殺されたと、歴史に伝えられてあるが、あれは嘘である。天王山の一戦で勝敗の決することは、初めからよく承知しておったが光秀は将士の度々の迎えをうけながら、わざとグズグズしていて遂に勝を秀吉に譲ったのである。じつは、はやくに光秀と秀吉との間には妥協が成立していたのである。……後、彼は娘の美貌が禍の因をなして自殺を余儀なくせしめられたと、世に伝えられているが全くの無根事である。英雄、英雄を知る諸般機微の消息は俗人にはわからぬ」と語っておられるが、これを知った園能斎氏(十三代)はおどろきの色深く「そのことこそ、千家に伝わる一子相伝の秘めごとであって、世に御存知の方はないはずです」と話されたとのこと、もし、そうだとすれば、「千利休は明智光秀である」ことの事実を裏書している。
聖師はさらに、「光秀は晩年、亀山城内の竹藪に隠棲していて、八十三才で没した」と驚くべき説を洩らしておられる。ただ場所を明示されなかったのは、千家の立場を考慮されてであろうか。
亀山城跡が、大本教の天恩郷ですが
亀山城は明智のお城でした。
何度足を運んだことか。。。
茶道を完成させた千利休
四畳半の茶室には
刀は持ち込めない。
躙口前では手や口を清めてから
神聖な茶室に頭を下げ
狭い躙口から入る。
そこには特別な空間があった。
明智光秀はすごい人だなと
しみじみ思います。
来年、六月
絵の作家さんとコラボして
作家さんの絵の展示と並行して
隣の茶室をお借りして
お茶を皆さんに振る舞う事が決まりました。
皆様、ぜひいらしてください。
詳細はまた知らせます。
久しぶりに着物を着て
茶室に入る喜びと緊張があります。
侘び寂びを尊んだ千利休🟰明智光秀は
なにを伝えたかったのでしょう。
ただ、あるがままの自分になれという教えを
御託を並べずに
体験させて気づかせた事は素晴らしいと思います。
茶道はメディテーションであり
茶道は瞑想しているのと同じだと
理解してます。
頭ではなくこころで感じる。
それが悟りなのかなといまさらながら
想います。
学ぶなら頭の理解だけじゃない体感、体験を。
もうすぐこころ講座が始まります。
そこをベースに
講座を進めていきたいと思います。
長文読んでいただき,ありがとうございました。
マリア
