井上内親王と聞いて

誰?と感じる方は沢山いますよね


井上内親王は

れっきとした聖武天皇の妻だったが

皇位を剥奪され

悲しくも亡くなってからは

奈良の御所市の

怨念鎮めの御霊神社に祀られている。


クライアントで、後に生徒になったA子さん

いらした時はかなりのきつい状態

文字通り子供を産んだあと

髪を振りみだして、やってきた。


夫の酷さを訴えてきて

これで良いのでしょうか?


えっ?そんなひどい状態に我慢する人なんか

いないよ!

あらためて、こんこんと説得する。


お金もださない、子供は一人で育ててる。

新幹線通勤で東京↔️群馬を行き来して

家事と育児に奔走し生き延びていた彼女。

夫はゴミを出すくらいしかできない男


なぜ、我慢をする?

もちろん、親からのしつけで

我慢が普通だったから、

我慢をおかしいとは思わない。

しかし、限度がある。


色々諭すうちに

やはり、我慢すべきじゃないと理解して

紆余曲折、離婚したが

まあまあ、揉めまくった。


何故こんなことばかり引き寄せるのか

前世も関係あるかも

と、ヒプノしてみたら

彼女は井上内親王だった。

まだ、我慢しながら叛逆することもなく

哀れにも亡くなった。


それじゃダメなんだ!


井上内親王 Wikipediaより

5歳で伊勢神宮斎王卜定され、6年後の神亀4年(727年)、伊勢に下向する。弟の安積親王薨去により斎王の任を解かれ、退下した。

帰京後、白壁王(後の光仁天皇)のになる。

772年3月2日、光仁天皇を呪詛したとして皇后を廃され、同年5月27日には他戸親王も皇太子を廃された。

宝亀4年(773年10月19日、同年10月14日に薨去した難波内親王(光仁天皇の同母姉)を呪詛し殺害したという嫌疑が掛かり[6]、他戸親王と共に庶人に落とされ大和国宇智郡(現在の奈良県五條市)の没官の邸に幽閉された。同6年(775年)4月27日、幽閉先で他戸親王と同日に薨去した[7]。この不自然な死には、暗殺説や自殺説も根強い。


この時、即位したのは後の桓武天皇


桓武天皇といえば

あの、阿弖流爲を無碍にも死刑にした存在。

坂上田村麻呂を東北につかわせ

たくさんの民を犠牲にしても

蝦夷征伐を行い、降下した阿弖流爲たちを

決して融合しようとはしなかった。


私意見だが、原日本人を根絶やしにしたかったのでは?

と、感じている。


大津皇子の時と一緒

都合が悪くなると、呪詛した!と

貶める。

この時代は、朝鮮系の人々が

日本の血の中に入り込み、

日本人を貶めて来たと、私は考える。

現に


井上内親王の光仁天皇呪詛事件は、山部親王の立太子をもくろむ藤原良継藤原百川ら藤原式家一派の陰謀とする解釈がある[8]

とも、Wikipediaにはかかれている。


井上内親王の夫、白壁王は

天智天皇の側室の高野新笠の子であり

井上内親王の産んだ他戸親王を亡き者にした。

井上内親王は天武天皇の血筋なので

血筋の壊滅をはかったと思われます。


高野新笠の甥が井上内親王を呪詛の罪で捕らえた。


高野新笠は

先祖は百済の武寧王である。父は百済の夫餘氏の子孫で和氏の史姓和乙継(やまとのおとつぐ)[1と、


と、記録にある。

百済は日本の血の中に入り込み 

日本を乗っ取ろとしたのかなと詳しく思う。


その後天変地異が多発して

これは祟りだろうと

井上内親王を慰霊するために

御霊神社を建立した。


騙されたり

報われない人生を送っては行けない。

彼女の魂の中に

井上内親王の意識がある。


ヒプノを何回もして

彼女は楽になり切り替わった。


前世も無くした親王さんの御霊をもつ

息子さんと仲良く暮らしている。

たまに会うとキラキラの笑顔になった彼女に

よかったと安堵する。


怨念は解かねば

我慢はやめて。

私たちの中にある囚われは

解除していかねばと思う






祟りだーってなってから

祭ってもね。

井上内親王は祟ってないよ

やったことは戻るだけ。

良心の呵責はないのかしらね。。。


つくづく

日本人はやさしすぎると

思う。






マリア