二人の男女の子どもを育ててみて思うのですが、
生まれたばかりの赤ちゃん、まだ親以外とほとんど接触のない赤ちゃんに
損得勘定はありません。
知能的にも、外界と自分の区別がだんだんクッキリし始めるのが1歳前後。
その頃には、「はい、どうぞ」遊びが盛んになって、
何かを手渡し、「ありがとう」と頭を下げて、またお返しする繰り返し遊び。
人に感謝されると嬉しい、という感情の卵は赤ちゃんにもあるんだなぁと思いました。

ところで、私の「損をしたくない」という信念のような感覚は生まれつきなのだろうか?
きっと環境が作ったと思うんだけど・・と振り返ってみて。
想像になるけど、3歳違いの弟との姉弟喧嘩が原因かな・・と思いました。
私が一番覚えてる親のセリフは「お姉ちゃんでしょ」でした。
「お姉ちゃんでしょ」のあとには、「我慢しなさい」や「譲りなさい」などが続きます。
お姉ちゃんだけどまだ子どもだった私は、とても悔しくて不条理だと感じてた。
たとえば、おやつのジュースの分量が5mm多いか少ないかで喧嘩したり、
ハンバーグの大きさがほんの少し大きいか小さいかで揉めた。
今思えば恥ずかしいけど・・・。
残念なことに子供の私は、我慢して弟に譲ったことを
「愛」ではなく「損した」とインプットしてしまったんだと思う。
これを「愛」としてインプット出来てたら、慈愛に満ちた大人になっただろうに~![]()
と、親のせいにしてるわけではないんですが(笑)
子ども時代の感情を強く伴った経験インプットは、大人になっても強く影響を及ぼします。
「損したくない気持ち」という信念が無意識のところにベターっと張り付いたままだと
いくら、感謝したくても、愛を知りたくても、どこかで損得勘定が働いてしまったんだと思う。
「感謝が足りない」と書道の房仙先生に指摘されて、
心の底から感謝してるつもりなのに、何が違うんだろう?
私はホンモノの感謝が出来ない人間失格のだめな人間なんじゃないのか?
モンモンと悩んだ時期もあります。
だけど今は悩んでいません。
「損なんてこの世にない」という考えに辿り着けたから。
「損」という言葉を私の脳から抹消しようと決めました(笑)
同時に「得」も消えます。
損も得もない。徳はあるけど!
私自身は、房仙先生が行動で「損なんてないんだ」という事を見せて下さり
新しい感動を伴った経験を上書きできたことが、この心境になるキッカケとなりますが、
それまでに、自問自答し続けて、いつも自分の気持ちや感情と向き合う癖をつけていたお陰で
この境地にたどり着けたと、感じてます。
そして、愛のなんたるかを損得勘定でしか捉えられていなかった私だったのに
結婚してくれたパートナーには、本当に長い時間信じて見守ってくれてありがとう、を言いたい。
私のダメなところを指摘してくれた友人たちにも。
ご縁のあった全ての方に感謝してます![]()
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こんな信念を無意識の奥底に持っていたこと・・自分ではなかなか気付けない。
人と接して、相手の反応や言葉や態度を感じて、自分の気持ちを振り返ってやっとわかったこと。
闇があるから眩しい光を確認できる。
愛を知るために、感謝を知るために、私はこんな回りくどい方法を取りたかった人間です(笑)
喜びは大きいです!

房仙先生、光孝先生、こうちゃん、そして仙酔島の自然にも!心からの感謝をこめて。
人生観を変える宿「ここから」にて。2018.9.24



