終戦の日は終戦した日ではなく
戦没者を追悼し平和を祈念する日である
ということをご存じでしょうか?
実際の終戦は9月2日
日本が降伏文書にサインをした日
なのだそうです。
実際、8月15日の時点では
玉音放送が届かない地域では
まだ戦闘は行われていたそうです。
天皇陛下の玉音放送を
敵の偽装だと信じて日本を守ろうと
戦い続けた方々もいたそうです。
かたや戦闘を続けたいという
一部の将校たちによる
玉音放送の奪取をしかける
宮城事件というものがあったことも
調べてみないと分からない歴史の1つ
ではないでしょうか?
いずれにせよ戦後80年。
当時のリアルな話を聞く機会は
失われてきました。
わたしの祖母はまだ健在ですが
もう96歳になりますから
いつまで当時のリアルな話が聞けるかな?
と思っています。
昔はよく女学校でなぎなたをやった話や
焼夷弾が降ってきた話
爆撃後の話などを聞いていましたし
終戦後の復興の話も聞いていましたが
最近では殆ど当時の話はしなくなりました。
既に他界している祖父は
予科練に行っていたことを話していました。
祖父は特攻にはいきませんでしたが
確かどこかの戦地へは行ったのではないか?
と思うのですがもう私の記憶が曖昧です。
曽祖父は満州へ行っていたと聞いていて
満州の話を幼いころ聞かせてもらったことが
ある気がしますが…
これももう幼いころの記憶なので
私は覚えてはいないのです。
祖父の家族や祖母の家族(親族)は
特攻ではないですが戦地に赴き
戦地で亡くなっています。
義母も今はもう認知症が進み
戦争の話はしなくなりましたが
以前は良く焼夷弾から逃げた話や
防空壕で過ごした話
食べ物がなくて大変だった話を
聞かせてくれました。
既に他界している義父は
終戦後に自宅の近くに落下していた
米軍の爆弾の破片か何か?を拾って
遊んでいたところ進駐軍に連れていかれ
色々聞かれて大変だったこと
帰りにチョコレートをもらった話
などを良く聞かせてくれましたが
それももう今は聞くことが叶いません。
今思うともう少し聞いておきたかった。
そう思うことも
幼かった当時は
戦争の話を聞くことへの嫌悪感が勝り
聞く耳を持たなかったこと
悔やまれて仕方ありません。
わたしはいま
防衛モニターとして
定期的に自衛隊の駐屯地へ赴き
活動のことを知る機会に恵まれています。
戦後80年
いまが一番平和が危ぶまれる時代です。
2年前の百里基地モニターの時も
そして今年もこの言葉を
何回も聞いています。
現場にいる方たちが一番
いまの日本が置かれている現実を
直視しているのですから
この言葉の重みをシッカリと
受ける必要があるとわたしは思っています。
わたしたちは今日もこうして
当たり前の日常を
当たり前に過ごすことが出来ていて
3食しっかり食べて飲んで
好きなところに出かけていき
思い思いに時間を過ごしている。
けれどこのわたしたちの足元には
先人たちの命があったことを
忘れてはいけないと思うし
先人たちが愛して守りたかった
日本という国と日本人の誇りを
わたしたちもまた
大切に護っていく義務があると
わたしは思っています。
それにはまず
わたし自身が心身健康でいること
わたしの家族が心身健康でいること
わたしと関わる半径5mの人たちが
心身健康でいること。
健康であれば
気力が沸いて様々なことに取り組め
多くの機会を得られるのですから…。
それが結果として日本という国と
日本人を護ることにつながっていると
わたしは信じています。
先人たちの命の上に
わたし達は立っているんだということ
忘れずに日々を大切に過ごしたいですね。

