末期ガン父にコーラ配達人として認識された日
から1週間後
父が息を引き取りました
はじめに![]()
死へ向かう描写があります
グロテスクなものではないですが
苦手な方はスルーしてください
この間には脱水を起こしているから、と点滴(ベニと同じラクテックでした)をしたり
「状態がよくありません」と電話を受けるたびに痰の吸引機と酸素吸入機をレンタルしたり、、、
父の入った施設は、賃貸という形を取り、在宅型の訪問看護制度と介護制度を利用できるというところでした
病院ではないことと、終末期の看取りなので、入所の際と、必要になった時に一つ一つ確認されます(蘇生処置、延命措置は希望しますか?電話連絡は希望されますか?など)
父は延命措置は希望しないと書面でも書き残してあったので、入所の際も希望しないと書き危篤の時も連絡は必要ないと書きました
私の中で、母の最期に寄り添えなかったということ(明け方でしたがICUの壁一枚向こうにいたのに看取ることは叶わなかった)が引っかかっており、
母を1人で逝かせてしまったのに父は私や夫に看取られて逝くなんてずるいじゃないか、と思っていたのです
くだらないと思われるでしょうけれど、そんな普通の人の終わり方をさせてやるほど私は父を許せていないし
母の最期を思うとそんなことを到底してやる気にはなれなかったからです
見舞いにも行く気はなかったので消耗品や飲み物もどっさり最初に置いてきました
麦茶は600mlペットボトル1箱
トイレットペーパーやティッシュは家にある買い置き全部
服ももう家を引き払うことになっていたので衣装ケース1つパンパンに下着と冬物の衣類を詰めました
夏物はこの時点でもう処分したんです
医者の見立てでは年を越せないであろうとのことだったので
でも実際には冬物にすら袖を通すことはなかったです
ホスピスの方々には「あれ?あの人来ないって言ってたのに結構来るのね」って思われいてたと思います
コーラとアイスを届けるだけでなく、提出する書類の記入(まだ本人署名できたので)、LINEで送られてくるお願い事など
結局行かなきゃならないことがあって3日と空けずに通いました
最後の4日間はあっという間で
→話せなくなるも耳は聞こえるのでうなずくことはできる
→呼吸が荒くて意識が遠くなりがちだが、酸素マスクは自分ですぐ外す
→もうコーラも飲めないが痰の吸引を看護師がしようとすると腕を掴んで拒否しようとする(そして力強い)
→呼吸荒く朦朧としているがYouTubeで懐メロ聴かせたら少し泣く
→顎が下がり呼吸が荒い、視線が合わない
と状態が変化していきました
4日目、夜中に電話が鳴り
一度帰宅していた夫と私は再びホスピスへ迎いました
到着した時には、もうそれが生きているのかわからないような〈凪〉の父でした
荒かった呼吸はもはや聞こえないほどであるものの、看護師いわく「極弱くですがまだ脈はあります」だそう
あぁ、結局私は父を看取ることになってしまった
なんてずるい人なんだ、と悔しくて少し泣きました
そこから2時間位まるで〈死ぬのを待つ〉ような時間を夫と過ごし(ここで夫は泣く、心優しい人です)
いよいよ「先生呼びますね」と看護師
医師はその宣告するためだけに夜中に呼び出されるのだなぁと思いながら、更に1時間待つ
このホスピスは入口を開けてもらわないと外に出られず、夜は看護師1人と介護士1人で回している中、ちょこちょこ出ていくのも憚られる
待合室のようなものもない
もはや生きているのかわからない父と個室で3時間、夫にとっても辛い時間だったろう
その後寝癖をつけた上下グレーのスウェットの医師が到着し、死亡宣告と診断書の記入を済ませて帰っていく
死亡届に父の本籍を書く欄があったのだが、はて?本籍は?(私が家を出てから県外へ8回引越ししていました)と情けないけれど記入できず
葬儀屋さんが書いてくれるということでこれで撤収
父の希望で直葬にしたので数日後遺骨を引き取りに行って終了
ホスピスに入ると決まってから1ヶ月も経たずに全て終わってしまった
これがコーラとアイスを完食してから1週間の出来事、、、
父を思って泣くことはないです
ただ、このあっけなさに呆然としております
そして絶縁父の後片付けは続く、、、
父にコーラを飲ませるのに便利でした
ドラッグストアで買いました
キャップがついているタイプより、ストローが長く咥えさせやすかったです
