今日のオンラインでの勉強の備忘録というか
とても大事なことだからメモしておく_φ(。_。*)
「ふと思ったこと」はサイン
「とは言え」は思考
採用するのは「ふと思ったこと」
「とは言え」が出てきたら一旦ストップ。
それは採用しない。そこを追わない。
じゃあどうする?
「ふと思ったこと」がやれる方法を探す!
日本人って、
お人好しが過ぎる民族。
嫌な目に遭っても、
それでもやっぱりお人好しなことをやっちゃうような、そんな民族。
わたしは、自分を軸にするよりも
家族や他人を軸にして
物事を見たり考えたり決定したりするところがある。
人のことを思いやることができる
相手の気持ちや想いを汲むことができる
それ自体は素晴らしいことではあるけれど、
だからと言って、
自分を置き去りにしてまで相手を尊重したり、
優先したりすることはしなくていい。
そう言われると、今度は、
人を思いやることを完全にやめようとする。
相手の気持ちや想いを汲むことを完全にやめようとする。
人を思いやらないように、
相手の気持ちや想いを汲まないように…
そんな風に、今やってることの逆をしなきゃ!と思う。
だから余計にやめられないし、やっちゃう。
そうじゃないのよね。
そうじゃなくて、
人を思いやること、相手の気持ちや想いを汲むことも
やりたければやる。
今はやりたくないな、これはやりたくないな
と思うなら、
「今はやらない」「これはやらない」「今回はパス」
それを選択するだけ。
やるかやらないか
どちらかに偏るのではなくて、
どっちを使ってもいいんだってこと。
相手の期待に応えようとするから
その結果、
応えられれば達成感は得られる。
でもそれはその瞬間だけのこと。
応えられなかったら…?
できなかった自分を責めたり、
できなかったことに罪悪感を持ったりする。
そんなこともしなくていいのに。
罪悪感も持たなくていいのに。
できる時にはやるし、
できない時はできない。
できる・できないだけではなくて、
やりたいと思えばやるのであって、
やりたくなかったからやらなかった
ということだって全然アリなんだから。
そもそも、”期待”をするから一喜一憂するわけで、
”期待”をせず、
事実だけを見たらいい。
「こういうことがありました」
「こういうことになりました」
ただそれだけ、で見る。
こういうことがあったのは、わたしがこうしなかったからでは…?
とかって、
事実と感情をくっつけているのは自分。
事実は事実。
感情は別物なので紐付けない。
分けて観る。
「こういう事実があります」
「わたしはこう感じました。」
「じゃあ、なんでそう感じた?何が嫌だった?」
そんな風に、感情の方を見ていくだけ。
事実はもう触らなくていい。
今、相手のことを思ってやってるが10
自分がどうしたい?でやってることが0
みたいな状態なので、
それを逆にするってことではなくて、
相手9の自分1でもいいから、
自分がウフッ♡となれることを1でもやれたら
自分がよろこぶんだから。
自分がウフッ♡となることを探す。
その答えは自分しかわからない。
正解っていうのは、
自分の心や魂に響くのを見つけること
だから、
どんなことが起こっていても
何をするにしても、
その中で自分が「ウフッ♡」となることは何?
わたしの心や魂に響くものはないかな?
と探す。
わたし、検索魔なくせに
なんでそこを探すはしないのかなー😂
復唱します。
わたしは何を探すのか?
・自分がウフッ♡となること、ものは何?
・自分の心や魂に響くこと、ものは何?
↑
これ!ここ!
とりあえずアウトプットしたいと思ったのでメモ_φ(。_。*)