屁理屈 | あゆみの歩み

あゆみの歩み

自分研究中ᝰ✍︎꙳⋆

そう言えば子どもの頃、

両親や祖父母に何かを言われて

「じゃあ、○○しろってこと⁉︎」

とかって反論すると

「それは屁理屈だ!」

「屁理屈ばかり言うな!」

みたいなことをよく言われていた。



この間、ある人が友人から

「本当にあなた達の学年はまとまりがないよね」

と言われて

「そうかな?「みんな一丸となって集まろう!」っていうのは確かにしないけど、「自分達は集まらなくていいよねー」っていう意見の方でまとまってるから集まらないだけなんだけど?

状況としては真逆だけど、「まとまる」ってことで見たら、どっちもまとまってるじゃん(・∀・)」

って答えたところ、

「それは屁理屈だ!」

って言われたって話を聞いた時に、

そう言えばわたしも昔はよく

「それは屁理屈だ」

って言われたなーっていう記憶が蘇ってね。



あの頃は、

屁理屈ばかり言う自分って

ひねくれ者で、よろしくないんだ

っていう風に受け取ってて

「屁理屈だ」って言われると

《こういう考え方や表現をすると

大人はいい顔をしないんだ…嫌がられるんだ…》

っていう風に受け取っていた。



子供の頃の親や祖父母っていうのは、

なんというか、

自分を守ってくれる大きな存在というかさ。

一番の味方なわけじゃない?


だから、

この人たちに嫌われたり

かわいくない子だと思われると

自分はいらない子になってしまうんじゃないか…

見捨てられたり、見放されたりして

捨てられてしまうのではないか…

っていう発想をしていたみたいなのよね。


今になってわかったけど。


だから、いまだに

家族からの反応に過敏になるというか、

かわいがられるように、

嫌われないように、

呆れられないように、

見捨てられないように

見放されたり見限られたりしないように…

いい子でいなきゃ!っていうスイッチが

無意識ではあるけど、

バッチバチでONにしてたのかもしれないなーって。



でもこれって、

完全に思い込みだし、

わたしの豊かすぎる妄想力が

大暴走した結果だなってわかる。笑


わたし、暴走する人だからさ。笑笑



一人で放っぽり出されたら

自分は生きていけないって思ってたから。

(これも思い込みだよね。)


それこそ、

山の中で、野良犬やらオオカミ、野生の動物の群れで育てられるようなイメージがむくむくと湧いて広がって、勝手に恐ろしく思ってたんだよね。



ほんと、子供の想像力って豊かだからさ。笑



でも、冷静になって考えれば、

うちの近くにはそんな山はないし、

野良犬もオオカミもこの辺にはいない。



こういう想像力とか空想する力みたいなのは、

子供の頃、昔話や絵本、アニメなんかを

毎日見ていたことで鍛えられた力というか

ある意味ではそういったものの恩恵とも言えるのかもしれないけど。笑



でね。

この、人が「屁理屈だ」って言われた話を聞いて

ふと思ったんだけどさ。


屁理屈が言えるってことは、

一つの出来事を違った側面から見たり

一般的に言われてる意見とは違う発想ができる

っていうことよね?


多角的に物事を捉えてたり

自分なりの表現に置き換えたりってことが

できてるってことよね?


子供の頃のわたしが

「屁理屈を言う子だ」

って何度も言われてたってことは、

わたし、子供の頃は多角的に物事を捉えて

自分なりの表現ができてたってことよね?!



それが、だんだん成長していくと共に

世の中の常識やルール、当たり前なんかを

教え込まれたり、

自分でも学んでいったりして

いつの間にやらガッツリ染み付いていって

「世の中ってそういうもんなんだ」

って思うようになっていってさ。


自分の思ったことをそのまんま言うと

変な目で見られたり

疎ましく思われたり

可愛げがないと言われたり

生きづらい感じになるから蓋をしたんだろうね。


そうでないとわたしは暴走しちゃうから。笑



でもね、

今これに気づけたってことは、

もう自分でコントロールができるようになったよ

ってことだから、

人や場を選んで

どこで出すのか

どう出すのか

ってことができるようになったよ、

もう蓋を取っても大丈夫だよ

ってことだと思うの。



まだ自分の中に

しっかりと落ち切ってはないと思うけど、

まぁ、いい感じやなーと𓃠


青空の広がる穏やかな1日でした♬