「ニュートラル」 +”バシャール:真の断捨離”=「戦って勝つというマウンティング用語」をやめる。 | hermioneのブログ  かるやかな意識のグリッド(の風)にのる

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バシャーリアン。読むことで意識が変わるようなファンタジーや物語に出会ってゆきたい。

37度の気温予想です。バシャールの下の記事を見て、最初「夏の断捨離」と読んでしまいました。

きのうも「ニュートラル」であることの平らかさを思ったのですが

 出したものが返ってくる、ただそれだけ、というのがバシャールです。

 だから執着しつつ切り離す、というダブルバインドなことをしても駄目。ニュートラルであれ。

 

★思うに、エイブラハムも微妙にまちがいやすいところがあります。

 「コレ」(体験やもの)は好きか嫌いか、と見て、「好き」を選択しようと思ったとき、「嫌い」にどこかネガティブな、傷んだ野菜を捨てるような、そんな感じがつくことがあります。

 

 もうイヤッ、とゴミ袋にものを突っ込むような感じ。復讐するように、何かを切り離し、捨てること。

 

 「断捨離」は、本来は「不要」「無縁」なものを遠ざけるというニュートラルな感じ。感謝して捨てる、と、こんまりさん(発案者の近藤麻理恵さん)も書いています。

 

 でも地球の(というか西欧文明的な)二極論理で考えるように馴らされてきた私たちは、要る、要らないという、不完全なシンメトリよりも、

「好き」「嫌い」とか「愛する」「憎む」というハッキリした対立図式を選びがち。

 

 善vs悪 光vs闇 これは私の専門であるファンタジー文学においても、表面的な定番になっています。

 ラスボスを倒すまでがんばる……うーん、ある意味、ゲームとしてはそれはわかりやすく面白いけれど。

 

 ほんとうは「善vs善の不在」「光vs 光の不在」。

 あるいはユング心理学的には、すべての敵対人物や存在は、主人公の無意識の中のさまざまなファクター(が外在化されたもの)。

 

 U・K・ル=グウィンのように東洋思想(老荘など)に関心をもった作家、またM・エンデのように無意識と現実がコインの裏表と言っていた作家は、それゆえ、二項対立的ファンタジーを書かず、地球ゲームからすると読みにくいかとも思います。『ゲド戦記』における、第三勢力ドラゴンの登場とか、『はてしない物語』における脳内願望の達成とか……

 

★ニュートラルでありたい。そのためには

「自分に打ち勝つ」「克服する」「試練・ライバルと戦って勝つ」「病気・困難と戦って勝つ」「悪の政権を倒す」「これこれの風潮を転覆させる」

などの「マウンティング用語」をまず自分の中で断捨離したいです。

 

 戦っていて乗りこえる、という生き方だと、いつでも山を登っているというか、山がなくなったら、生きる希望がなくなるというか・・・(古い話ですが大学入試に受かったときの虚脱状態……)

 

 だから問題を見つけて取り組む(自分の短所や不足のところを埋めようとする)

 

 よりも

 

 問題はない、と全肯定に入る(————どうしてかいつも「短所? ナシ」の『天才洗脳クラブ』がちらついてしまう(笑))。

 

★ その中で、これをやりたい、見つけたい、解明したい(発見や創造)が出てきたときは、それは「問題」ではなくて「チャレンジ」でさえなくて、ただ「楽しいおもちゃ」になっているはず。

 

 子供がダイヤを暗記し、ポケモンの進化を百種以上にわたって整然と記憶しているように。

 

★試練や何かと「戦う」と、一生いつまでも平和じゃない。

「遊ぶ」ほうがもっといい。(猛暑と戦いたくない〜〜)