実は昨日から、ある体験談を読んでいました。
1992年の、まだ記憶に新しいボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の体験談です。
ボクにとってボスニア・ヘルツェゴビナ紛争は、歴史で習った以上に詳しくは知らなかったし、そしてこの知識はテストで点を取るための知識に過ぎませんでした。

体験談は、少し長い文章でしたが、ボクの血肉になるような内容でした。
今後のボクに影響を与えるような内容であったので紹介させていただきます。


戦争の体験談を語るわ その1
戦争の体験談を語るわ その2
戦争の体験談を語るわ その3


誤解を恐れずに断っておきますが、ボクは「戦争反対」とかチープなことを言うつもりはありません。
あ、念のため、これはボクが戦争支持者であるということでないことも断っておきます。
ボクも、世界の人が手と手を取り合って、共に笑顔でいられる世界を望んでいます。
ここで問題なのは言葉です。

「戦争反対」という言葉は、凄くチープです。
メッセージ性が強いだけにチープです。
ほとんどの人が気がついていないかもしれないけれど、凄く凄くチープな言葉、、、
「平和」とか「愛」も一緒です。

なぜなら、深く考えないでも、それを発言するだけで、「正義」が手に入る安易な言葉であるからです。
いわば、「正義」のシンボルです。
人を騙そうとしている人が「世界平和」と叫んでいたとしても、そうやって叫んでいるだけで、その人は「正義」とされてしまいます。

そんな性質を持っているから、メディアでは何も考えずに、その言葉が多用されています。
お金儲けに結びついたりもします。
一つ間違えば、マインドコントロールや洗脳の道具として、非常に危険な言葉です。


論理は論拠を持って証明されます。
仮に論理が論拠から正しく導き出されたとしても、その論拠自体が間違っていれば、その最終的な論理は間違ったものになります。

例えば、、、
「地球は赤かった(論拠1)」と宇宙から誤報が入ったとします。
「海はプランクトンなどが大量に死ぬと赤くなり汚れる(論拠2)」とします。
「赤いものは汚れている証拠(論拠3)」となります。
すると、そこから導き出されるのは、
「地球は汚れている(結論)」
となります。

何がいいたいかといいますと(自分でも例えが悪かったと思いますが)、繰り返すことになりますが、論拠が間違っていれば、辿り着く結論も間違ってしまうということです。
この性質を「世界平和」についても当てはめてみましょう。

「世界平和という言葉は正しい(論拠1)」
「人を殺すということが世界平和と言われている(論拠2)」
「人を殺すことは正しい(結論)」
となる危険性を孕んでいるのです。


さて、ここで正義について立ち返ります。

人は必ず正義を求めて生きています。
自分が悪だと思って行動する人は120%いません。
そうしなければ、人は心の病気になるからです。
これはいけないんだ、と思いながら行動をすることは気分が良いものでありませんよね。
そんなことを好きこのんで一体誰がするでしょうか。

映画などに登場するダークヒーローにも、行動には、ある一定の基準や信念があります。
確かに社会的にみれば、ダークヒーローが行う行動は悪かもしれません。
しかし、ダークヒーロー側からみるとその行動は正義であったりするのです。
マフィアとかそういった人達も、それは同じです。

そう、正義とは一定のものではなく、無数に、人の数だけ存在するものなのです。

社会的な正義とは、多数決で決まったものにしか過ぎません。
なぜ多数決かというとコミュニティー(人の集団)というものは協調の結果体であって、つまりは、そのコミュニティーは大多数の人間の意志の共同体であるからです。
そんなコミュニティーがうまく機能するためには、大多数の便益(得をする、保護されるなど利益になること)が得られる仕組みが求められます。
コミュニティーとは、例えば役割分担などを行うことで、個人の便益をさらに追求する目的で作られたものであるから、それを構成する大多数の人々の便益が求められるのは必然です。
それを有効に機能させる仕組みが多数決です。
だから、一般的な社会的正義とは多数決で決まります。

そして、人は各々が正義でありたいがために、その共同体の正義をベースに個々の正義を形成していく。
それによって、その正義はより強固なものになっていく。


長くなりましたが、それらを加味しないで、安易に「世界平和」や「戦争反対」というのは間違っているし、それは新たな紛争を起こしてしまいます。

戦争=悪 =>
戦争をやっている人は悪 =>
少なくとも、どちらかが絶対的な悪

という結論に行き着きます。
彼らは好きこのんで戦争をしているわけではありません。
…中にはそういう人もいるでしょうけれど。


後、うまく伝わらないかもしれませんが、そして言葉が悪いですが、「世界平和」と言っていれば、「自分は正義である」ということに酔うことができます。
これほど便利な言葉はない。

先に書きましたが、人々は120%、正義でありたい。
そして、人は誰かに対しては優位でありたい。
つまり、正義に対して誰よりも優位でありたい。

それがどういう行動を生むかというと、、、
他者を煽ったり批判して、その優位な地位を手に入れる、という行動を生みます。
自分より下を作れば、人は相対的に上に位置できます。

「神」とは、実はそのための物差しだあったりします。
ある物差しで一番になれないとすると、別の物差しを用意しようとします。
そして、その物差しの上下関係をはっきりさせようと争い出す。

宗教も最初は「世界平和」が出発点であったことを頭に入れておいてください。
…それが、現在、多くの悲劇を生んでいる。


最後に、、、
人々の帰属意識とは、どこから来るのでしょう。
結局は、帰属意識の収容先同士の争いが戦争になってる。
仲間と、仲間でない者の境界線とは何なのでしょう。




[追記]
戦争の体験談を語るわ 後日談

今知った、、、