こんばんは。
今日は、仲間達と卓球してきました!!
凄く楽しかった!!

実はボク、大学生時代に友達とよく卓球やってました。
田舎に住んでいたのでやることといったら、ビリヤードかダーツか卓球、、、
一番金がかからないし、他は下手くそだったので、必然的に一番卓球をやってました。
(ビリヤードやダーツ、ルールを覚えてません、、、ビリヤードは2年前ぐらいに少しだけやったけど)

卓球は温泉卓球ぐらいの腕前です。
大学時代は相当燃えました。
楽しくて、やるとなると2~3時間ぐらいぶっ続けでやってました。
いくら才能がなくても、それくらいやってると少しずつ上達していくものです。

そんな卓球ですが、学生時代ぶりなので、かれこれ7年ほどやってませんでした。
しかし!!
以外にも、身体が感覚を覚えているものですね、、、
自分でも驚きました。
蝶のように舞い、蜂のように刺す…ほどではないですが、気持ちのいい卓球ができました。



閑話休題。。。



さ、タイトルにある「どこでもドア」の話。
卓球が終わった後に、みんなで食事をしたのですが、その場で少し「どこでもドア」の話題が出てきたんですよ。
この場で発言しなかったことも(家に帰る電車の中で、ふといつも考えていることとリンクしちゃった)、新規としてここに書きます。

ちなみに「どこでもドア」とは、、、

それって何ぞや?という人は皆無であるほど周知のもの。
そう、国民的漫画「ドラえもん」に出てくる便利道具の一つです。
扉を開ければ、好きな場所に行けるというテレポーテーションを実現する道具。


…ボクは捻くれた小学生だったので、こんなの実現したら電車や飛行機、引っ越し、運搬の仕事をやってる人は失業しちゃうよね、、、と、可愛くないことを言い回っていました(汗)


この考え方、実はとても面白いので少し掘り下げて、、、
これは食事の場で発言しました。
この「どこでもドア」が完成したら、という話、現在のIT社会そのものでないか。

「どこでもドア」が完成したら、それまで必要だった産業が衰退していく。
簡単に移動ができるのであれば、飛行機や電車なんか使う人はいないし、引っ越しも業者に頼まないで自分一人で出来るから、必然的にそれたの産業は廃れていく。
これを簡単に説明すると、、、

「複雑で大変な作業を代行して行っていた事業は、簡単に行ってしまう技術が出現したことで廃れていく」

と言い換えることができます。

あれれ、、、
この話、どこかで聴いた話ではないかな???
そう、前記しましたが、現代のIT社会。

例えれば、ネットの出現とYouTubeの出現、そしてMP3技術のために音楽CDが売れなくなった。
(飽くまで例えなので、事実と違う細かいことは置いておきます)
Ipadの出現による書籍業界の危機、、、
(ボクは本のあの感覚が好きだし、本が淘汰されることはないと思ってますが飽くまで例ということで)

ようは、古い不便な産業は、新しい便利な産業に取って替わられて駆逐されていく、ということです。

ここでもう一度「どこでもドア」の話を引き合いに出すと、不便なものにしがみついて、いつかそれが復興すると願っていても、それはまず120%ありえないのではないかなー、と思います。
それなら、すぱっと新しい産業に乗り換えた方が良いのでは、、、と。
ネットワーク外部性の問題もあるし。
いや、何が対象とか、そういう話ではなく、大雑把な話ですよ(汗)
もちろん、古き良きものというものは一部で保護しないといけないと思います。。。


もう少し掘り下げると、、、


古い不便な産業に流れていたお金は、新しい便利な産業ができることで、どういう風に流れるのかな、ということが気になります。
今の日本の不況(デフレもその一端?)の原因をIT産業が出てきたこととするじゃないですか。
、、、ITの力によって、普段かけていた部分にお金をかけなくてよくなった(SCMなど)から、安価にモノを作ることができ、その分、お金が回らなくなった。

…ん?
回らなくなったお金はどこに行ったのでしょう?

ボクの予想では、お金がだぶついてて、投資に回っているような気もします。。。
それで世界中に拡散された、、、とか。

どういう経緯かはブラックボックスですが、結果、本来回るべき場所にお金が回らないため、倒産する企業が出てきくることから、世の中を不況にする片棒を担いでいる気がします。
(古い事業は切り捨てて新しい事業を始めれば生き残れる気もするけど、、、スイッチングコストがかかるんですよね。イノベーションのジレンマとか)

つまりこれらのことから言えるのは、便利は幸福を生み出す一方で不幸も生む?
問題なのは生み出される量が、

不幸<幸福

という図でならなくてはいけないということです。
こればかりは、答えは誰にも解らないですね、、、

ただ極端に考えてみましょう。
何の便利もなかった原始時代と現代、、、
不幸度をマイナスとした場合の幸福度は、どちらが上なんでしょう。
もちろん知的レベルが違いますし、一概に比較することはできず、その答えも解らないですけれど。

あれ、何が言いたかったんだろ(笑)
まぁ、このさらに掘り下げた話題はおまけみたいなものなんで、、、



さて、ここからが本題。
(ええーっ、ようやくーっ!?)
この話は、卓球後の食事の場では言ってないことです。
誰かに話をするのも初めてです。

「どこでもドア」は実現するのか。
テレポーテーションは実現するのか。

…量子テレポーテーションという現象もあり、実はいろいろ言われてたりします。
Twitterである人が言ってました。
いつかはできるかもしれないけれど、移動したその人が本当にその人であることの証明の担保が問題になる、と。


いや、、、
難しい話はいいんです。
これを説明してもいいですが、今回の話とは全く関係ないので割愛します。
人というデータの移動のような話なんですけどね、、、


本題。
これ、誰かボクの他に考えている人がいるのかな、、、


発想を変えましょう。


テレポーテーションの発想を変えます。


…擬似的なテレポーテーション。


現在、3DTVが販売されています。
聴いた話によると、今度は触った感触を、TVを見ている人に感じさせることができるTVを目指すとか。
…たぶん、技術的にできます。
すごーく柔らかく考えると一種の催眠術を使えばいいのです。
(この表現、誤解があるからあまり使いたくなかったのですが)
脳は、実はあやふやに感覚を受信しています。
これを応用すればいいのです。
、、、詳しい技術は知りませんが(汗)
でも、これをやると、もっと完璧な3DTVなんかできると思います。
音も、臭いも、触覚も、、、
5感をフルに再現できるTV、、、



あれ?



それが実現すると、擬似的に自分はその場所に行っていることにならないかな。
臭いも触感も視覚も音も味覚も、そのTVで再生される。
例えば、どんなに愛しい人と離れていても、お互いがこのTVを使えば、すぐ近くにいるように一緒に生活ができる。
遠距離恋愛なんかあってないようなものになるかもしれませんね。。。
東京とブラジルにいる人が、お互いにこのTVを使えば、距離が離れていても同一場でリアリティーを感じながら会議ができる。
TVでバーチャルの料理を注文して、その味を楽しむこともできます。
バーチャルの食べ物ばかりではなく、実際に食べ物を摂取しないと死にますけど(笑)


うーん、、、
リアリティーって何なんだろう。。。
脳の錯覚、、、


…っと、こんなどうでもいいことをよく最近、考えてます。
頭がおかしい人だな(汗)


以上、「どこでもドア」をテーマにした話でした。
濃い!(汗)