先日の、語る会の、
好圓さんの、
「音色」の話は、
すごく響きました。
これは、ここでは多くを語りませんが、
好圓さんの講演は、
5月15日(日) 生きる
5月21日(土) 心とからだ
6月 4日(土) 自分を知る
の、13:00~16:00まで、各回 5000円で、名古屋であるようなので、
人生観を変えたい人や、
新しい自分の価値に気づきたい人は、ぜひ参加してみて下さい♪
さてさて、
人は、音色を出しているというお話。
ド なのか ミ なのか、それはそれぞれだけれど、
ハーモニーを奏でられる人もいれば、
奏でられない人もいる。
そのためには、自分がどの音色を出しているか、
理解しているのが大事。
けれど、中には、
「あの音色が素敵だから」と、
自分の音色をいしきすることなく、
誰かに近づいていく。
自分の音色がない状態だと、
奏でることはできない・・・。
というような、話。
あとは、好圓さんの講演で直接聞いてみて下さい。
これを聞いて、
「価値をもらう人と、あげる人」について、
めっちゃ考えました。
最近僕は、
「与える」ことについて、
考え続けています。
「与える」なんて、おこがましいっておもってみたり、
「与える」ではなく、「分け合う」ほうがいいとおもってみたり、
「与えるためには、与えられている必要がある」とおもってみたり、
色々と考えているんですが、
人はもともと、
もらいながら生きているじゃないですか。
時間も、
命も、
価値も、
すべて、もらっている。
だったら、バランス的には
「与える」ことに
真剣に向き合ってみたいとおもったんです。
「与える」ということは、
「創る」ということ。
「与える」って、
すっごくえらそうじゃないですか。
僕もこれまで、
「お互い様」とか、
「あなたにいつも良くしてもらっているから」
と、
色々と逃げてきたんですが、
「私は、あなたに、与えます」と
言い切ってみることって、
意外と、
というか、
めちゃくちゃ、価値があるようにおもったんです。
もちろん、
基本的な姿勢は、
「おかげさま」
「わけあう」
「感謝」
ということが前提にあります。
前提にあるうえで、
「僕は、これを、与えられる」っていえることって、
すごく大事。
「お礼」って、そういうことじゃないかなと。
パスタ屋さんが、
お客様に感謝しながらも、
「自分の信じる味」にこだわって、提供する。
これって、
「お客様に、価値をあたえる」だと思うんですよ。
それに対して、
僕らは、健全な対価を、パスタ屋さんのオーナーにあたえる。
それが、
「あたえあう」
「わけあう」
っていう形だと思う。
なんか、
「これをやってあげるから、これをやってね」
って、
一見、
あたえあっているように見えて、
もらいあっているような気がする。
お礼が先にあって、それで人を動かしているような気がしている。
手前味噌だけれど、
僕は、友達のパスタ屋さんで、
一回も値切ったことはない。
友達の理容室で、
一回も値切ったことはない。
「ともだちだから、安くして」とか
「パソコンのことを教えるから、安くして」とか、
そんなことは、いわないし、
言いたくもない。
彼が作り出した、
彼の価値を高く評価するから、
それに対して、
健全な対価を支払う。
彼も、
最高のものを出しているという自負があるから、
「負けておく」とは一切いわない。
その中で、
本当に時々、
「今日はサービス」ということを提案してくれる。
その時は、
彼はお金を取らない。
価値を値引いて提供するのではなく、
彼は僕に「あたえてくれている」んだとおもう。
難しい話になってきたけれど、
「あたえる」ということに
僕は真剣に向き合っていきたい。
表現が「あたえる」しか思いつかないから、
ちょっと違うニュアンスになっているかもしれないけれど・・。
価値をもらう人を否定するわけじゃない。
僕も、多くの価値と命をもらって生きている。
だからこそ、
価値をあげる人になりたい。
そのためには、
自分が価値を作っていないといけない。
誰かが作った価値をあげたところで、
それは、仲介であって、あげたことにはならない。
なんか、
そんなことを、
ぼんやりと考えました。
僕は、
僕の価値を、
大切な仲間にあげる人になりたい。