9月に入っても時々痛みは出るものの、
小腸に出来た癌が大きくなって、腸壁を破ってしまいました。
緩和病棟は、個室で広々としていて、
自宅で何時もの様にデイサービスに通い、
自分の事は時間がかかっても、ほぼ自分でしていましたが、
今後の事を考えると、
介護保険の介護度(その時は 要支援2)の見直し、医療機関(かかりつけの診療所)の往診、
訪問看護などの準備を進めていました。
自宅では、
弟のお嫁さんが母の食事や
洗濯などをしてくれて、
体調にも気を配ってくれていました。
私は、実家から車で1時間半ほどかかる所に住んでいるので、
母との電話やお嫁さんとの連絡で、母の状態を聞いていました。
顔を見ていないので、
母がいつ強い痛みが来るか、
腸閉塞などにならないだろうか〜
という心配があり、電話をいつも離さずに持っている毎日でした。
9月20日に何時もの様にデイサービスに行った後、
21日の早朝4時過ぎに、
お嫁さんから「お母さんが痛みが酷いので強い薬を飲ませてと言われました」というメールが来ました。
その後も、オプソを飲んでも痛いので、
訪問看護の方に連絡を取り9時に来て頂き、
午後には初めて診療所からの往診に来て頂きました。
実家に帰ろうかと言いましたが、様子を見て〜という事で、
母がどんな状態なのか心配で何も手につかない状態でした。
往診の先生が来て下さり、
病院に救急搬送した方がいいとの事で、
検査を受けていた病院と連絡を取って頂き、
救急車で運ばれました。
私も、急いで病院に走りました。
私が病院に到着するのを待って、
先生(たまたま診て頂いていた先生でした)が、
検査結果と現在の状態を詳しく説明して下さいました。
小腸に出来た癌が大きくなって、腸壁を破ってしまいました。
このままでは、腹膜炎を起こすし、
とても危ない状態です。
もしかしたら、今夜に、という事もあります。
との説明でした。
いよいよ母の最期の時が来たのか!と思い、
その夜は私が付き添う事にしました。(その後も、お嫁さんとの2人交代で夜も付き添っています)
その夜は病室が空いてなくて、
救急病棟の1室で過ごしました。
母は、痛み止めの医療用麻薬の点滴をしてもらい、
痛みは少しずつ治っていった様ですが、
早朝から半日以上の痛みの為に
顔色も悪く、話も出来ない状態でした。
それでも夜中にトイレに行きたくなると
「ポータルトイレに座らせて」と言い、
看護師さんと2人で抱えてポータルトイレまで行きました。
次の日、やっと血液内科の病室に移る事ができ、母は、痛みも抑えられて、少しずつ落ち着いて来ました。
4日後には、緩和病棟に入れるという事でしたが、
先生は「持つかなぁ〜」と言われました。
日に日に、少しずつ回復して来て、25日には緩和病棟に無事入る事ができました。
緩和病棟は、個室で広々としていて、
付き添いの人も泊まる事ができる様にソファーをベッドにできるし、
小さなキッチン、タンス、机、などが備わっています。
内ドアの外には、トイレ、シャワー室、クローゼットがあり、
患者本人はもちろんの事、
家族や付き添う人も使って下さい。と。
母は遠くに自宅を思い出せる山々が見える所にベッドがあり、
毎朝様子を診て話かけ、適切な処置をして下さる先生、
丁寧に優しくお世話をしたり、話を聞いて下さる看護師さん、
心の内を相談できる臨床心理士さん
等の方々の手厚い看護を受けて、
日に日に落ち着いて来ました。
小腸に通過障害があるので、
水かジュースだけと言われていましたが、
「素麺が食べたい」と言ったので相談すると、
少しならいいですよ、と言われてから、
少しずつ 素麺、お魚、果物、赤飯、、、。
好きな物を食べて
『痛まず、苦しまず、楽に最期を迎えたい』
という希望通り、
日々穏やかに人生の終末期を過ごせています。
これからも病気は進行して行きますが、
最期まで穏やかに過ごしてほしい❣️
そして、『母を看取りたい』と思っています。

