九州での地震を受けて、
生きていくことにさえ大変な思いをしている人が大勢いる中、
特に不謹慎なことを書いているわけではないけれど、
ブログ更新という行為自体がとてものんきなことに思えて、
グルグル頭が混乱しておりました。
現場に駆けつけて救援活動をしている人や、
物資を送るために必死になっている人々を尻目に、
自分には行動するだけの勇気がない、心の余裕がないと、
自己嫌悪に陥ったりする。そんな人もいるのではないかな?
でも、世界を見渡せば、日本で起こったことは、
数ある災害のひとつにすぎません。
エクアドルの大地震では数百名が亡くなっていますしね。
きっとあちらはあちらで、絶望の淵に立たされながらも
生きる希望を見つけるのに必死なのだろうと心中を察します。
人々にはそれぞれ、その人その人の現場があって、
その大小や程度はその人の物差しで測られるもの。
だから、まだ自分が生きるのに精一杯な人は、
きっとその現場のほうに重きを置いてしまう。
例えば、
どうしても手に入れたい仕事の面接があるとか、
好きな人に振られて、とても悲しいとか、
今日こそグッスリ熟睡したいとか、、、。
はたから見れば、何をそんな小さなこと、と思うかもしれない。
でもこれらのことは、その人にとってみれば最優先事項。
それが「生きる」ということなのだと思う。
これは決してその人の心が狭いわけでも、
その人が人でなしなわけでもない。ただ精一杯生きているだけ。
だから本当なら、この状況の中、人が何をしようと、
誰もそれを批判することなどできないよね。
人の思いと自分の思いはいつも等量に世界を満たしていて、
その違いこそが世界のダイナミズムを生んでいる。
これはある人の言葉なのですが、ちょっと励まされたこともあって、
いつもブログを読んで下さっている方とシェアしたいな、と。
思いはひとつじゃなくても、逆にひとつじゃないからこそ、
世界は調和を目指して常に循環しているんだということ。
私たちが日常を続けることで、
そしてそれを見たり知ったりすることで
非日常から解放される人がいるかもしれません。
先日あるテレビ番組で、ゲストの方が発言していました。
普段テレビに出ている人をいつものようにテレビで見る、
これは大きな安心感につながると。もちろん不謹慎はダメですよ。
自分もまた、この日常に戻っていくのだと、
そんな風に前向きな気持ちになってもらえるのではないかな?
だから私もまた、いつものようにブログを書いていきます。
自分の現場としっかり向き合って。