筍の煮物




裕子は、チルド室から筍の煮物を取り出して器によそい、電子レンジに入れた。

「さあ、母の愛をいただこう」

そんな言葉が自然にこぼれた。

裕子の母は料理上手で、子どもの頃からおいしいものをたくさん作ってくれていた。

実家を訪れると、帰りにはいつも手料理をたくさん持たせてくれた。

その量は、母が歳を重ねるごとに少しずつ減っていった。母の体力の衰えが、そんなところからも感じられた。

母は、裕子に渡す手土産が少ないと、

「いいものがなくて、さえんねえ」

とよく言った。

裕子が実家から帰る日になると、母は冷凍庫の中を探し回った。

裕子が食べられそうなものを取り出しては、

「これ持って帰る?」

と聞いてくれた。

この筍の煮物も、そのひとつだった。

少し薄味の澄んだ出汁から、いりこの香りが立ちのぼった。

その瞬間、母が台所でいりこ出汁を取っていた姿が思い出された。

出汁がらの昆布は、刻んで煮物に入れる。筍の煮物にも入っている昆布も、それだった。

裕子が子どもの頃、朝食には必ずいりこ出汁の味噌汁が並んでいた。

朝起きると、

「パンにする? ご飯にする?」

と聞いてくれた。

パンと味噌汁。

一見すると合わないようにも思える。

けれど母には、朝から少しでも栄養を取らせたいという思いがあったのだろう。

野菜たっぷりの味噌汁は、それにうってつけだった。

裕子が母になってからは、夕食のときに味噌汁を多めに作り、翌朝も子どもたちに飲ませていた。

ご飯と味噌汁が朝食の定番だった。

時間に余裕がなかったこともある。

家計に余裕がなかったこともある。

けれど何より、子どもたちに手作りの朝食を食べさせたかった。

母がたくさんのお土産を持たせてくれることに対して、裕子はこれまでも「ありがとう」と伝えていたし、感謝もしていた。

だが、それが母から注がれている愛だと感じたことはなかった。

なぜなら、それは裕子が幼い頃から、当たり前のようにそこにあったからだ。



母を「毒親」だと思っていた裕子が、長い年月をかけて母との和解にたどり着くまでをエッセイ調に描きました。

見ようとしなければ見えないもの。

当たり前すぎて気づけないもの。

「毒親」の正体と、「水面に映るもの」をたどる物語です。

ご訪問ありがとうございます♡