京都の国立博物館で開催されていた展覧会を観に行きました。
『流転100年「佐竹本三十六歌仙絵」と王朝の美』
この展覧会があることを知って、すぐにカレンダーを開いてスケジューを押さえ、何が何でも行こうと思っていたんです。そのくらい、ゼッタイ見ておきたかったものでした。
佐竹本って?、三十六歌仙絵って?、というのは、展覧会の公式サイトが秀逸。誰にでも分かりやすく、簡潔にまとまっていて、さすがです。
【公式サイト】
・「佐竹本三十六歌仙絵」とは?どこがスゴイの?
【NHK】
この展覧会の素晴らしさは、後世まで歴史的に残ることでしょう。中身については、また改めてじっくりと、もっと勉強してから書きたいと思います。
今回は、個人的なはなし、「佐竹本三十六歌仙絵」との出会いについて書いていきます。
なぜ、私がこの展覧会に、そこまでして行きたかったのか、私がお茶(茶道)と、どんなふうに向き合っているかを、読んでいただけると嬉しいです。
ところで「三十六歌仙絵」が正しい表記ですが、個人的には、「三十六歌仙」(さんじゅうろっかせん)と長年言ってきて親しみもあるので、そのように書かせていただきます。
私が「佐竹本三十六歌仙」というものを、初めて知ったのは、お茶の稽古でした。
20年ほど前、2000年前後だったと思いますが、その日の稽古の掛物が、こちらの和歌でした。(掛物とは、掛け軸のことで、その日のテーマを意味します。)
秋来ぬと 目にはさやかに見えねども
風の音にぞ 驚かれぬる
藤原敏行
「これは「三十六歌仙」の中の1つで、藤原敏行朝臣(ふじわらのとしゆき あそん)が詠んだ歌」
「三十六歌仙で、一番素晴らしいとされているのが「佐竹本三十六歌仙」、秋田の佐竹家に伝わるもの」
「立秋のころ、まだまだ暑いかもしれないけれど、風が吹けば、そこにはもう秋を感じる」という意味。
というようなことを、先生に教えていただきました。
この日の稽古以来、「佐竹本三十六歌仙」という言葉は、私の中で、一つのキーワードになりました。
9月初旬の立秋の時候になると、毎年この掛け軸がかかり、秋を感じられる稽古をさせていただいていました。
私が、佐竹本三十六歌仙の「本物」を初めて見たのは、2014年10月に東京の根津美術館で開催された特別展「名画を切り、名器を継ぐ」でした。
東京に行く用事があり、美術館の特別展を探していたら、滞在中に、この展覧会があることを知り、嬉しかったです。
展示されていたのは、「小野小町」。十二単をまとった小野小町の肖像画と、詠んだ和歌が描かれています。
800年程前に描かれた和歌と絵を目の前にして、「これが、あの三十六歌仙の小野小町なんだ」と、感動を抑えることができず、しばらく眺めていました。
「佐竹本三十六歌仙」というものを初めて知って以来、15年目のことでした。
そして、2019年の今回の展覧会。
元々2帖の絵巻物だった佐竹本三十六歌仙。展覧会では、佐竹家が絵巻物を保管していた、漆塗りの箱も展示されていました。
絵巻物を入れる箱、それを入れる箱、の二重かさねです。漆黒の箱に、佐竹家の扇文がくっきりと金で描かれた美しい箱です。
「流転100年」のタイトルのとおり、100年前に切断事件と世間をにぎわし、三十六の断簡(だんかん)となって、散り散りになりました。各断簡は、所有者により表装され、掛け軸に。
その後、三十六それぞれの歌仙の掛け軸が、それぞれの運命をたどるわけですが、所有者が変わっていくものも多かったそうです。100年の時を経て、三十六歌仙のうち、三十一歌仙の掛け軸が、展覧会で一同に会すことに。
「事実は小説より奇なり」さながらの事実を、この目でゼッタイ確かめたいと、展覧会に足を運びました。
主に12世紀~13世紀に描かれた、宮廷人や十二単をまとった女性と和歌。
「本物を見る」ことは、最上の学びや価値、最高の喜びや感動です。
※1人で行きましたが、写真を撮って差し上げたご婦人が、「あなたも、どうぞ」と撮ってくださいました。楽しそうなわたし。
展示の解説に、「今回の展覧会では、関係者の並々ならぬ情熱と努力により・・・」とありました。
本当にそうだと思います。このような展覧会は、やろうと思ってもできるものではなく、来場者が10万人を超えたそうです。なるべくして…ですね。
佐竹本三十六歌仙の本物のほとんどを実際に見ることができた経験が、私の人生をどれほど心豊かにしてくれているのか、感謝の気持ちでいっぱいです。
ところで、お茶というのは、一服のお茶を美味しく召し上がっていただくために、心を尽くし、おもてなしをし、茶室で主客共に、茶の湯を楽しみます。
一服のお茶から広がる世界は、限りなく広く深いです。その広さと深さが、私の人生を、広く深い豊かなものにしてくれています。
20年前のある日、稽古でかかっていた一幅の掛け軸から、興味がわいた「佐竹本三十六歌仙」。探求は、この後も一生続きます。「追っかけ」しますよー。




