は垂れ流しなので、まとまってません。
お時間ある方は軽い気持ちでご覧下さい!
何かひとつのことを研究追求するってことはそこに問題点を見出しているから。
(疑問から始まる場合もあるが)
大学の時の講義にで少年犯罪が増加した。と言われた時期ある話を聞いた。
実際は少年犯罪は増加してない。データとして見たときに、人数は増えているが、割合は変わっていない。子どもが増加したから、人数も増えただけ、と聞いた。
マスコミがどこに注目して伝えるか、に
左右されてた時代なんだなと今考えたら思う。
発達障害が増加したとも言われている。
昔はそうとらえてなかった。発達障害という枠にいれてなかった。実際には増加したかどうかはわかってない。
枠自体もあいまい。
一つの事にフォーカスするとその問題点が気になる。
全身を移した写真は美しいのに、
顔の一部をドアップで移すと、毛穴がわかるみたいなかんじ。
全体の美しさを忘れて、気になる部分にしか目がいかなくなる。
だからそれが余計に問題に思えてくる。
全体の美しさを分かった上で、毛穴がある。これをどうきれいに見せるのか考えるのはいいとおもう。
だけど、毛穴だけに着目して私は醜いと思うとしんどくなる。
逆に全体が美しいから整っているからといって、毛穴なんかなかったことにすると
いつまでもそこは解決されない。
森も木もみるバランスが大切なんじゃないかと思う。
物事の本質を球体に表すと、右から見ている人と左から見ている人は違うものが見えている。
こうこうこういう理論だ。物事の真理はこうだ。と出してきても、その一方から見たらそれが真実。
でも他の角度から見たらまた違う。
いろんな人の意見を聞いて、他の意見もないか色々調べて球体のパズルのように完成させようとしていた。
でも、きりがない。ピースの大きさも分からなければ完成する球の大きさもわからない。
物事の本質。中心。と思っていても、さらに奥があるかもしれない。
あの人のいうことはおかしい。間違ってる。
は単に違う角度から見ているからに過ぎないかもしれない。
あの人のいうことは浅い。それを人に提供するなんておかしい。
たしかに浅いところを掘っているんだろうと思う。
でも見ている物事は同じ。
深く追求すると、本質近づくかもしれない。
でも、それが本当の本当に本質かどうかなんてだれもわからない。
その答えに地球上すべての人が納得するわけでないから。
人それぞれの答えがあって良いと思う。
俯瞰してみたらそう思う。
自分にふりかかるとまた別。笑
追求して、
出した答えは、追求した一点にしかあてはまらないかも。
同じ物事をほかの部分から見たときは
違う答えがでる。
だから、テーマについて取り扱っていても
解決方法が違ったり、問題としてる部分が違ったりする。
どれが正解、間違ってる(があったとしても、やってみなきゃわからない)
ってのはなくて、自分に合うか合わないか。
合うか合わないかなんてやってみなきゃわからない。
だから、やると言われたことは一通りやってみる。
もちろん自分なりの正解がすぐにわかる人は
きっと強みだしやればいい。
でもわからない人もたくさんいるから。
お時間ある方は軽い気持ちでご覧下さい!
何かひとつのことを研究追求するってことはそこに問題点を見出しているから。
(疑問から始まる場合もあるが)
大学の時の講義にで少年犯罪が増加した。と言われた時期ある話を聞いた。
実際は少年犯罪は増加してない。データとして見たときに、人数は増えているが、割合は変わっていない。子どもが増加したから、人数も増えただけ、と聞いた。
マスコミがどこに注目して伝えるか、に
左右されてた時代なんだなと今考えたら思う。
発達障害が増加したとも言われている。
昔はそうとらえてなかった。発達障害という枠にいれてなかった。実際には増加したかどうかはわかってない。
枠自体もあいまい。
一つの事にフォーカスするとその問題点が気になる。
全身を移した写真は美しいのに、
顔の一部をドアップで移すと、毛穴がわかるみたいなかんじ。
全体の美しさを忘れて、気になる部分にしか目がいかなくなる。
だからそれが余計に問題に思えてくる。
全体の美しさを分かった上で、毛穴がある。これをどうきれいに見せるのか考えるのはいいとおもう。
だけど、毛穴だけに着目して私は醜いと思うとしんどくなる。
逆に全体が美しいから整っているからといって、毛穴なんかなかったことにすると
いつまでもそこは解決されない。
森も木もみるバランスが大切なんじゃないかと思う。
物事の本質を球体に表すと、右から見ている人と左から見ている人は違うものが見えている。
こうこうこういう理論だ。物事の真理はこうだ。と出してきても、その一方から見たらそれが真実。
でも他の角度から見たらまた違う。
いろんな人の意見を聞いて、他の意見もないか色々調べて球体のパズルのように完成させようとしていた。
でも、きりがない。ピースの大きさも分からなければ完成する球の大きさもわからない。
物事の本質。中心。と思っていても、さらに奥があるかもしれない。
あの人のいうことはおかしい。間違ってる。
は単に違う角度から見ているからに過ぎないかもしれない。
あの人のいうことは浅い。それを人に提供するなんておかしい。
たしかに浅いところを掘っているんだろうと思う。
でも見ている物事は同じ。
深く追求すると、本質近づくかもしれない。
でも、それが本当の本当に本質かどうかなんてだれもわからない。
その答えに地球上すべての人が納得するわけでないから。
人それぞれの答えがあって良いと思う。
俯瞰してみたらそう思う。
自分にふりかかるとまた別。笑
追求して、
出した答えは、追求した一点にしかあてはまらないかも。
同じ物事をほかの部分から見たときは
違う答えがでる。
だから、テーマについて取り扱っていても
解決方法が違ったり、問題としてる部分が違ったりする。
どれが正解、間違ってる(があったとしても、やってみなきゃわからない)
ってのはなくて、自分に合うか合わないか。
合うか合わないかなんてやってみなきゃわからない。
だから、やると言われたことは一通りやってみる。
もちろん自分なりの正解がすぐにわかる人は
きっと強みだしやればいい。
でもわからない人もたくさんいるから。