昨日は、実家のある田舎に日帰りしました。

父が腰を痛めたので、みんなで玉ねぎを掘りに🧅





私はかなりの田舎に生まれて、高校生になるまで同じ場所で育ったのに

実は、父が腰を痛めるこのタイミングまで

草取り以外の農作業を、ほとんど手伝ったことがありませんでした。





だから、昨日は本当ーーーに疲れた。

疲れすぎて、写真も1枚も撮ってません😂





玉ねぎを抜く→集める→いらない部分をハサミで切る→一輪車に乗せる→運ぶ→乾燥させるために並べる。

この中で私は、一輪車に乗せる→運ぶ→並べる、しかやっていなくてこの疲れなのに

いつも父が1人で全部の作業をこなしていたことに、びっくり。





農作業はほんとに永遠にやることあるのですね…




 


私は田舎が嫌いでした。


虫が苦手だし、お店がないし、近所の人たちとの距離感が近いし、運転しないとどこにも行けないし


何よりも


環境が変わらなくて、成長できない気がしたから。






私はずっと

目に見える状況がどんどん拡大していく。

生きる世界がどんどん広がっていく。

自分を取り巻く数字や人数がどんどん大きくなっていく。

そういったことを【成長】だと捉えていました。





(成長の意味を調べるとこれ⬇️)







その捉え方はある意味、辞書に書いてある意味通りだから正しいのだけど


最近になって、大きくなることや拡大することだけが「成長」なのか?


よく分からなくなる瞬間が増えたのです。






例えば、玉ねぎを掘ったからと言って、何かが拡大している訳ではないけど


食べ物を作ってくれている人や、食べ物自体への有り難さは深まっていく。






例えば、私のおじいちゃんは、毎日毎日同じように畑と田んぼで作業していたけど


どの季節も、何時に太陽が上り・沈むかを完璧に把握していた。






例えば、近所のおじさんは、法事のときに私の息子が数珠をひっぱって紐を千切ってしまったのに


1ミリも(本当に1ミリも)まっったく嫌な顔を見せず、私に気を遣わせなかった。






田舎に帰ると、確かにまったく変化がなくて


新しい動きはなくて


むしろ、そこにあったものがどんどん消えていく様子を目にするのだけど(私が通ってた小学校も今年で廃校になるらしい🥲)






目に見える状況がどんどん拡大していく。

生きる世界がどんどん広がっていく。

自分を取り巻く数字や人数がどんどん大きくなっていく。





そんな、私がずっと持っていた「成長」の定義では図ることができないような。

だけど、この私の定義がちっぽけで、とても子供っぽく感じられるような。

「成長」という言葉を遥かに超えた、何か大きな大きなものに、触れたような感覚になることがある。






この感覚って一体なんだろう?


そんな風に考えていて、分かったこと。


もう少しだけ続きます🤍






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