去年、気付いたときに

ガーーーーーン😱😱

と、なったことがありました。





それは、

私はずっと「時間をかけて丁寧に関わること」が自分が提供できる価値だと思っていたこと。





例えば、数年前まで私は

4時間くらい講座をやったり

5時間くらいグループセッションをやったり

スクロールしないと読めない長文での質問への返信をしたり…

これらを当たり前に行っていました。





それらを当たり前に思っていたし、

好きなことだから全然できたし、

「分かりやすかったです」なんて言われると大きな喜びを感じていました。





そしていつしか少しずつ時間をかけて

私の提供しているものの価値は、時間をしっかりとかけて丁寧に関わることだ。

私は、時間をしっかりとかけて丁寧に1人1人と向き合うことで求められているんだ。

自分でもまったく気付かないうちに、そんな風に思うようになっていたんです。





そのことに気付いたのは、去年のこと。

去年、これまでやっていた講座を継続できるコミュニティの形で運営していたのですが

毎月続くグループセッションや講座が、毎回4時間や5時間もあったら当然みんな疲れます🤣🤣





ずっと継続するカタチを考えたとき、大切なのは

【関わる時間の長さ】ではなくて【関わる時間の純度】だということに気付いたのでした。










自分が何かの講座に参加することをイメージしても、

別に「長く関わってもらうこと」が欲しい訳ではなく(その瞬間は嬉しいかもしれないけど本当に欲しいものではないという意味で)

欲しいのは「自分の人生がより良く変化すること」だったりする。





っていうことは、

純度の高い時間の中で、物事の本質を見抜いて、新しい視点を贈ることができる。

👆これができるかどうかが大切なだけで「時間の長さ」はまったく本質ではない訳です😂





それなのに。

そのことに気付いたとき、大きな大きな抵抗感が自分の中から湧いてきました。





言葉にすると

時間をかけないなんて、怖い!!

だったのです。

もう少しだけ続きます。