昨日の記事に、久しぶりに母と旅行に行ったことを書きました。






ストーリーに写真とともに、こんな言葉を載せたのだけど…


このとき【言葉】というものの本質に触れたような気持ちになって「は!」っとしたのです。










今回の旅を一言で表現すると、まさにストーリーに書いたように


良い時間だった。


に、なる😍😍


旅行は全体を通して、本当に本当に良い時間でした。






だけど、私が旅行中の全ての時間、ずーーーっとそんな感覚で過ごしていたのかというと


「暑くて疲れたなー」

「ちょっと1人になりたいなー」

「このお店の人感じ悪いなー」


などなどなど。






ちょっとした嫌な気持ちや、疲れや、めんどくささのような


「良い気持ち」とはかけ離れた気持ちも、当然たくさん感じているのです。






ただ、少し前の私なら。


例えば、今回のような母との旅行なんかで


「暑くて疲れたなー」

「ちょっと1人になりたいなー」

「このお店の人感じ悪いなー」


なんてもし思ったとしても、それらの気持ちを自覚する前に打ち消していた。






なぜなら、


せっかくの「良い時間」なのに、そんなこと思うなんて。


無意識にそんな想いが働いていたからです。







ホテルの朝ごはんは「豊かさ」をギュッとしたイメージ😍






そう。


当時の私は、目の前の出来事から自由にいろんなことを感じていたのではなく






今は「良い時間」だから「良い気持ち」を感じるべき。


そんな風に、自分でもまったく気付かないうちに


最初に目の前の状況をラベリングして「感じる気持ち」を決めていたのです😳😳






例えば、めったにできないような経験や


久しぶりの友人に会うときや


ずっと行きたかった場所を訪れたときなどなど…


そんな【良い時間】というラベルを貼れる状況のとき。






「めったにできない経験なんだから」

「久しぶりの友人に会えたんだから」

「ずっと行きたかった場所に来れたんだから」


だから、良い気持ちを感じないと。


そうやって、めちゃくちゃ自然に「感じる気持ち」をコントロールしていたなぁと。





その「めったに出来ない経験」が、実は全然好みじゃなかったかもしれないし

「久しぶりに会った友人」と話が合わなくなってるかもしれないし

「ずっと行きたかった場所」が期待していたほど心を動かさないかもしれない。





そういった「感想」を、そのまんま感じさせてあげればあげるほど

気持ちをコントロールせずに、自由に心を動かせば動かすほど

好みや価値観や大切にしたいものがハッキリして、どんどん「私」が際立っていく。





だけど、私がやっていたのはその逆で

本当に感じたことや、本当の心の動きを、こんな言葉で誤魔化していたのです。

せっかくの「良い時間」なんだから。





「良い時間」というのももちろん感じたことなんだけどね。その言葉だけに収まらないそれ以外の気持ちも、同時にたくさん感じているという意味です🤍






状況に合わせて、感じる気持ちを先に決めてしまうと

自分自身であるにも関わらず「私」という人間がどんどん分からなくなっていく。





それが本当に心から「良い時間」だったとしても、その言葉の中だけには収まらない

あらゆる心の動きがあり、あらゆる感想があり、あらゆる気持ちを感じてる





それらをそのまんま自由に感じさせてあげるようになってから、あんなに強く感じていた

自分のことがよく分からない…

そんな感覚がなくなって、自分の好みや価値観がどんどんクッキリしていきました。





私は誰と旅行に行っても、それがどんなに良い時間だったとしても、旅のどこかではチラッと

「ちょっと1人になりたいなー」

とか思うタイプ🤣🤣





だけどそれは、そのとき「私が感じたこと」。

それ以上でも、それ以下でもない、そのときただ沸いてきた気持ち。





そして、そんな一見どうでも良さそうな「私が感じたこと」を、コントロールするのをやめてから

私自身が前よりずっと、クッキリとした輪郭を持って存在できるようになった気がします🌟




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