稼いだり、結果が出ている人の

発信を見て勝手に落ち込んでは

 

胸がギュッとなって、

自分が小さくなった気がして、心が沈んだこと。

 

 

そういうことある人、いないかなぁ?

 

 

どういうことかというと

 

 

例えば、

 

 

「設定を変えたら

一瞬で現実は動きます。」

 

「在り方を整えたら

結果はあとからついてきます」

 

「稼いでいないのは

◯◯ができていないからです」

 

 

とか、

 

 

そんな発信を見た時に

確かにそうなんだろうと納得すると同時に

 


勝手に落ち込んでしょぼんとしてしまったり、

なんとなくモヤっとした気持ちになったり

していることがありました。

 

 

それらは真理であり

本当は凹む話でもないんだけど、

 

それでも、どうしてこんなに

モヤモヤするのだろう?

そうやって感じてみると・・・



それらを目にしたときに

 

 

結果が出てないってことは


私が

 


ダメなんだ。

劣ってるんだ。

遅いんだ。


 

とかとか、


 

私自身が、自分の「設定」で

「結果が出てない私はダメ」って

自分をボコボコに殴っているから

だったんだよね。🥹





楽しかったいちごのアフタヌーンティーパーティー♡

 



前にもブログで書いたけども




 

その大元では、


母親に認められたい!

思いがずっとあったのと同時に

 

「こうあるべき」という

正解を外側においてしまっていたんだよ。

 


 

そして、さらにその奥には

 

 

「ありのままの私は、見捨てられる。

ちゃんとできる私だけが、ここにいていい。」

 

 

っていう設定があったから。🥹

 

 


学校でも会社でも、

「正解を出せば、結果を出せばマル」

ってどこかそんな風潮があったと思う。

 

 

だからこそ私は

 

自分を傷つけないための「盾」として

外側の正解や実績、理論という

 

「完璧な鎧」を必死に身に纏う癖

まだまだあったんだなって。

 

 


だから、その「正解」から外れている私を

私自身がゆるしていなかったんだよね。

 

 


もっというと

 

すでに「正解」から外れているからこそ

 

 


稼いだら文句言われないでしょう?

堂々と認められるでしょう?

 

 


っていう結局「条件」付きの愛。

 


結果を出せたら愛される。

出せなかったら、居場所がなくなる。

 


そんな勝ち負けの世界で生きてたんだなって

今ならわかる。

 

 

そして、先日も書いたけど

 


 

外側の「稼いでる人」「結果出してる人」を

勝手に自分でムチのようにして

 

 

「ほら、あの人は結果出してるのに!

あんた(内側の男性性)はなんて無能なの!

私が結果出せないのはあんたのせいだ!」 

 

 

って自分の中の男性性がだめだ!

役立たずだ!って叩く理由にしていた。

 

叩かれ続けた私の中の男性性は

意気消沈していた。

 

 

ゆるします

 

 

そう思っても・・・

やっぱりもやつく、やっぱり凹む。

 

 

なぜなら、どんなに頭で
手放したりゆるしたつもりになっても
 

 

その奥には、

 


「正解」に合わせようとして

我慢してきた悔しさ。

 

認めてもらえなかった悲しさ。

その感情が、まだ身体に残っていたんです。

 

 

ちゃんとその感情を感じていなかった。

頭で無理やり「わかったつもり」にしていた。

 

 

だからモヤモヤした出来事も

本当は私が私を取り戻すために

その経験をさせてもらっていたんだって、今は思える。

 

 

そして、私自身が自分に対する

条件付きの愛をやめる。

 

 

私、そういうモヤモヤした気持ちを感じた時

 

なんでそういうこと言うのか?

相手を分析して、正しいかどうか裁いて、

 

私は悪くないって証明しようとしてた。

 

それだと私の気持ちを全然感じてないから

また同じようなことを見た時、聞いた時

 

またモヤモヤしたり、

その人を見て嫌な感じを受けたり

するんだよね🥹

 

 

だから、そういう時こそ

なんでムカつくのか?とか

その設定は?とか全部差し置いて

 

 

ぐだぐだで、嫉妬にまみれて、

「でも」「だって」って言いたくなる

私の話をまずは黙って聞く。

 

 

分析しない。

ただ感じる。

 

 

そうやって、

自分が自分に正論を振りかざしていたことに気づく。

 

すると、

外側の誰かのせいや

出来事のせいじゃなかったんだなって


ただ、私の中で

起きていたことだったんだってわかる。

 

 

その瞬間、不思議なことに

外側の「正解」が力を失っていく。

 

 

それを繰り返していくと

また「あ、私、外側の正解で自分のこと否定してる!」

 

って自分の思考の癖に気がつけるので☺️

気づいたら、やめる。

まだ残ってたら、また感じる。

本当、その繰り返し。


 

そうするとね、気づけば

同じ発信を見ても、

前みたいにモヤモヤしなくなっているはず。

 

 

ここまでが、感じて、ゆるす女性性のパート。

 

 

でもね、それだけじゃ

現実は動かない。

 

 

 

じゃあ、もっと在りたい自分を

選んでいこうとしたとき

(現実を変えていこうとするとき)

 

ここからは、男性性の力を借りて

自分を導いていくパートが必要なんだよね。🥹

 

 





外側の正解にハンドルを渡していた私が、

ここからは自分の人生のハンドルを握り直す。

 

じゃあ、どうやって自分を導いていくのか。

 

 

私がまずやったことは



「あ、今また自分のこと責めてる!?」

って気づく度に、やめる。

気づくからやめられます ←もちろん、感じた上で!

 

 

それからね、

どうでもいいことでいいから

自分で決める

 

 

今日なに食べたい?どの服着たい?

この文章、本当はどう書きたい?


「これが正しいかな?」じゃなくて

「私はどうしたい?」で決める。

 

 

小さな選択を自分の感覚で選ぶ練習。

それって地味だけど、

めちゃくちゃ男性性の土台になる。

 

(そして、前回のブログで書いたように

実行してくれた男性性に感謝を伝えるのを忘れずに🤣)

 

 

それからね

未完成のままやってみる練習もしてる。

 


完璧な正解になってから動こうとすると、

きっと一生動けない。🤣

 

まだやってもいないことを、

先に“正解”にしようとしてるんだもの。

 

 

そういう経験を一つずつ重ねることで、

「私」が形作られていくし

 

外側の正解に左右されずに

自分を信じる力が育っていくんだと思う。

(と、自戒を込めて)

 

 

嫌な気分になったら

 

自分が何を感じているか?

自分の頭の声は、今、自分に何を言っているか?

 

そこに気づいて、

「私」の声をちゃんと聞いてあげる。

 

自分を責めるんじゃなくて、

自分を導く方へ