ずっと他人の顔色を伺うように、
他人が自分にどう感じているのかを気にしてきたし、
自分が正しいことをしているのかどうか、間違ってはいないだろうか、と
思い続けてきた。
で、それをやめようと思っていたんだけど、
やめるのではなくて見ている先を変えるのもありじゃない?
って思ったの。
そしたらすごく楽になった![]()
やめようと思ったこと自体がダメだったというよりも、
そういう行動をしてきた自分に対しての否定の気持ちや
すごく責めるような気持ちがまだそこにあったんだよね。
それゆえの「やめよう」だった気がする。
というのも、自分が今何をどう感じているのか、ってのを
注意深く、細かくみて確認して、ってやってると
どうにも既視感があったんだよね。
なんか似たようなことやってたよなぁ~って。
でも自分のことを見てこなかったり
知らん振りしてきたことでストレスになったりつらくなったり
なんかわけわからんくなったのに、
自分のことを見るぞーって切り替えてるのに既視感あるって
どういうことだ??
ってよくよく考えたら、
自分ではなく他人をよく見る、をやっていたなぁって。
自分ではなく他人の顔色を伺って
自分ではなく他人の評価やどう感じてるのかを気にしてきたなって。
これ、他人のところを自分に変えればすむ話だったのか、って気づいたの。
見ている先を変えるだけ。
自分が気にしてしまってきた行動をやめよう、とするのではなくて
方向性をかえちゃおう、のほうが
私にとっては楽だった。
他人のこと考えるのやめてもいいんだ、と思って楽になった部分もあるんだけど
もうほとんど癖になっている行動をやめようとするときに
責める気持ちが入り込んできたから、苦しかったんだな~って。
そうやってごちゃごちゃするってことは
私には合わないのかもしれない。
自分に合うものってなんとなく
自分的にとてもシンプルだと感じるもの、と思ってる。
私にとっては
あれこれ考えてやめるより
単に方向を切り替えるだけ、のほうがよりシンプルに自分に伝わった。
だからすごく、楽になったんだなと思う。
それに他人のこと考えるより
自分のこと考えているほうが何百倍も面白いと気づいた![]()
知らないことが多すぎて
情けなくもあるんだけどね。
でも知るほどに、自分に響く感覚を直接感じ取れる気がして
それが楽しい。
打てば響く。
それって気持ちいい。
今日から7月。
なんかね、七夕があるからかもしれないけど、
夏至の夜をすぎてから、夜が楽しくて仕方がなく
そしてパワフルな気がしている。
自分の中の陰とか影になる部分が
輝きを持っているのに気づくタイミングなんじゃないかな、と思ってる。
私がそうだから、かもしれないけど
ネガティブやマイナスをなくそうとしてきたのを
自分の中にもう一度取り込もうとしてから
とても楽になったと思う。生きること自体の気持ちよさが増えた。
それがマイナスコードカットに付け加えた奉納のカットなんだけど
それってすごく逆説的というか
手放すのに自分の中に取り込むんだよね。
ただ捨ててハイおわり、ではなくて
ネガティブやマイナスになった自分すらも飲み込む自分の深さや広さや
無限大の広がりを
感じられる、そんな感覚が強くなる。
無理やり飲み込むのではなくて
ふと沸いたそれら敬遠してきた感情への感謝がきっかけ。
そういう道を歩いてきた
自分自身への敬意の表れだと思ってる。
だからやり方テキストにはセレモニーと表現した。
自分から自分へ贈る敬意や感謝のセレモニー。
それをネガティブやマイナスな自分自身の感情に向ける。
これにたどり着いた自分に対して
すごいなぁ~って思う。よくこんなこと思いついたなぁって。
やろうと思ってやったら気持ちよくて、これや!!っておもったんだけどね、
やっぱり自分の感覚に嘘ってないんだなって思う![]()
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