こんにちは。
ご訪問ありがとうございます、恵子です。
私の母は、ものをとても大切に使う人です。
「昔もんだからね、すてられないんだよ。」 とよく言います。
母は今、とてもきれいとは言えないバッグを使っています。
はっきり言ってボロです。
新しいバッグもちゃんと持っているのです。
自分で買ったわけではないですが
周りの家族がプレゼントしたものとか。
でも、使わないのです。
それは、母の使っているバッグには
大切な想い出がたくさんつまっているからです。
そのバッグは、父が母に買ってあげたもの。
だから。
私の父が亡くなってから、十二年が経ちます。
母はいまだに、父が使っていたものを処分できずにいます。
人が遺品、形見などから想いが少しずつ薄らいで
「もの」 として見られるようになるには
一年、五年、十年、二十年。。。と長い月日がかかるものです。
父のものを処分することは
父とのつながりがなくなってしまうような気がするのだと思います。
わかるんです、私もそうだから。
それは、寂しいこと、悲しいこと、ココロが痛むこと
父に申し訳ないと思う気持ちになること。
色々な想いが交差します。
何より母が父をココロの底から愛していて
大切に想っていた。
でもね、他人さまから見たら、明らかに
「ただのクタクタのバッグを持っている人」 なんです。
「なんであんなにボロボロのバッグを使っているんだろうね」
「みっともないね」
ということになってしまう、ということなんです。
そこまで父のことを想っている母の気持ちは
天国にいる父にとって嬉しいことなのかもしれません。
でも、人さまから母がそんな風に思われていたとしたら
父はどう思うのかな。
それでも自分の贈ったバッグを
使ってくれとは言わないはずです。
「ありがとう、大切に思って使ってくれる気持ちはうれしいよ。
でも、もう新しいのを使ってよ。」 って言うんじゃないかなって思うんです。
そのバッグがあると
父がそばにいてくれる気がする、という気持ちはすごくわかります。
私も同じようなところがあるので。
父を想う気持ちはとても尊いものです。
でも、それが執着になってしまうと
自分自身が生きづらくなってしまうのではないかと思うのです。
それに天国の父も、いつまでたってもそんな母が心配で
安心できないのではないかと思うのです。
「お父さん、私の生き方を見て」 って前を向いて言えるような
そんな生き方をしてほしいと思っているのではないかと思うのです。
私たちは、生まれる時は一人だし、死ぬときも一人です。
もちろん家族や友人などはいます。
けれど最終的には自分一人。
だから、自分の足でしっかりと立ち
自分の力で生きていくことが大切なんだと思うのです。
天国にいる父のためにも。
私は今、そう想うことができるようになりました。
でも、母はいまだにそう思えずにいます。
人それぞれのタイミングというものがあります。
この先も、母の想いを受け入れながら
伝え続けていこうと思います。
ご訪問ありがとうございます、恵子です。
私の母は、ものをとても大切に使う人です。
「昔もんだからね、すてられないんだよ。」 とよく言います。
母は今、とてもきれいとは言えないバッグを使っています。
はっきり言ってボロです。
新しいバッグもちゃんと持っているのです。
自分で買ったわけではないですが
周りの家族がプレゼントしたものとか。
でも、使わないのです。
それは、母の使っているバッグには
大切な想い出がたくさんつまっているからです。
そのバッグは、父が母に買ってあげたもの。
だから。
私の父が亡くなってから、十二年が経ちます。
母はいまだに、父が使っていたものを処分できずにいます。
人が遺品、形見などから想いが少しずつ薄らいで
「もの」 として見られるようになるには
一年、五年、十年、二十年。。。と長い月日がかかるものです。
父のものを処分することは
父とのつながりがなくなってしまうような気がするのだと思います。
わかるんです、私もそうだから。
それは、寂しいこと、悲しいこと、ココロが痛むこと
父に申し訳ないと思う気持ちになること。
色々な想いが交差します。
何より母が父をココロの底から愛していて
大切に想っていた。
でもね、他人さまから見たら、明らかに
「ただのクタクタのバッグを持っている人」 なんです。
「なんであんなにボロボロのバッグを使っているんだろうね」
「みっともないね」
ということになってしまう、ということなんです。
そこまで父のことを想っている母の気持ちは
天国にいる父にとって嬉しいことなのかもしれません。
でも、人さまから母がそんな風に思われていたとしたら
父はどう思うのかな。
それでも自分の贈ったバッグを
使ってくれとは言わないはずです。
「ありがとう、大切に思って使ってくれる気持ちはうれしいよ。
でも、もう新しいのを使ってよ。」 って言うんじゃないかなって思うんです。
そのバッグがあると
父がそばにいてくれる気がする、という気持ちはすごくわかります。
私も同じようなところがあるので。
父を想う気持ちはとても尊いものです。
でも、それが執着になってしまうと
自分自身が生きづらくなってしまうのではないかと思うのです。
それに天国の父も、いつまでたってもそんな母が心配で
安心できないのではないかと思うのです。
「お父さん、私の生き方を見て」 って前を向いて言えるような
そんな生き方をしてほしいと思っているのではないかと思うのです。
私たちは、生まれる時は一人だし、死ぬときも一人です。
もちろん家族や友人などはいます。
けれど最終的には自分一人。
だから、自分の足でしっかりと立ち
自分の力で生きていくことが大切なんだと思うのです。
天国にいる父のためにも。
私は今、そう想うことができるようになりました。
でも、母はいまだにそう思えずにいます。
人それぞれのタイミングというものがあります。
この先も、母の想いを受け入れながら
伝え続けていこうと思います。