なこんにちは。
ご訪問ありがとうございます、恵子です。

昨日は父の十三回忌の法要がありました。
集まった姪っ子や甥っ子たち、自分の娘もそうですが
ちっちゃい子どもだったのに、大きく大きく成長しました。

中には、父が亡くなった時はまだ赤ちゃんで
父のことを知らない子もいます。
その子ももう中学生。

自分たちも年をとるわけです。
私もそうやって年齢を重ねていき
いつか娘も自分の家族を持ち、母となっていく。

その時私はおばあちゃん。

そうやって、人は生まれて死んでいくんですね。
当たり前のことですが、昨日はしみじみそれを感じたわけです。

確かネイティブアメリカンの人が書いた詩だったと思うのですが
「今日は死ぬのにとてもいい日だ」
というのがありました。

自分の死を目の前にして
死ぬのにとてもいい日だって
それってすごいことですよね、そんな風に思えたら。

こんな穏やかな気持ちで死んでいけたら、幸せだなって思いました。
愛する家族に囲まれてね。

それには、どう生きたかということが、すごく大事なんだろうなって思います。
自分らしい人生を生きたから、死を受け入れやすい。
それは、今日という日を精一杯生きるということなのかな。

やり残した事があるなら、悔いが残ってしまう。
でも、たとえやり残したことがあったとしても、
そこに精一杯向かっていったのなら
そのプロセスに意味があるんじゃないかと思うのです。

だから、今日やれることは今日やる。
明日は明日。
今日の積み重ねの先に未来があって
そして、いつか死をむかえる。

私はこの詩の、終わりの3行が好きです。



今日は死ぬのにもってこいの日だ
生きているものすべてが、わたしと呼吸を合わせている
すべての声が、わたしの中で合唱している
すべての美が、わたしの目の中で休もうとしてやってきた
あらゆる悪い考えは、わたしから立ち去っていった

今日は死ぬのにもってこいの日だ
わたしの土地は、わたしを静かに取り巻いている
わたしの畑は、もう耕されることはない
わたしの家は、笑い声に満ちている
子どもたちは、うちに帰ってきた
そう、今日は死ぬのにもってこいの日だ