皇室典範より、天皇陛下のお声を聞け | 自然治癒力と免疫力で改善する健康ダイエット

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こんにちは。

自然治癒力と免疫力でからだの不調を改善

健康ダイエットコーチの濱西です。

 

自民党がいますごく急いでいる、皇室典範。

あの麻生代表まで躍起になっている。

 

麻生太郎氏、皇室典範改正について表情を曇らせる

まるでなにかにとり憑かれたような面持ち。。

 

それに対して心底受け入れられない天皇陛下のお言葉の重み。

天皇陛下、皇室典範改正議論について発言

 

バイオガイアジャパン株式会社 野村 慶太郎  さんのFaceBookの投稿はたまに見るのですが、今回この皇室典範についての記事が、もうド直球で私たちが思っていること、なんとなく考えていることを非常にわかりやすく共感できる記事を投稿いただきましたので、紹介したいと思います。

 

参考になれば幸いです。

 

以下引用:

 

皇室典範より、天皇陛下のお声を聞け。

 

皇室典範の改正が、また盛んに議論されている。

 

わしは、この改正案には大反対である。

 

なぜか。

 

天皇陛下が、皇位継承をめぐる議論について「国民の皆さんの理解が得られるものとなることを望んでおります」とおっしゃった。この一言は、非常に重い。

 

陛下は当然、いま国民の多くが何を感じているかをご存じだと思う。世論調査を見ても、女性天皇を認めるべきだという声は大きい。つまり、多くの国民の心の中には、はっきり言えば「愛子天皇待望論」がある。

 

では、なぜ国民は愛子さまを望むのか。

 

それは単に人気の問題ではないと思う。

 

皇室というものに、国民はどこか神秘を求めている。神聖なカーテンの向こう側にある、俗世とは違う美しさ。国民の前に出ながらも、決してすべてをさらけ出さない気高さ。日本人が心のどこかで理想とする、静かで、慎ましく、品格ある生き方。

そういうものを、いまの天皇陛下、皇后陛下、そして愛子さまのご一家には感じるのである。

 

一方で、秋篠宮家については、国民の目にはどうしても俗っぽく映ってしまった部分がある。

 

もちろん、秋篠宮家の皆さまを否定するつもりはない。

 

佳子さまも懸命に公務を務めておられる。悠仁さまにも何の罪もない。

 

しかし、眞子さんの結婚をめぐる一連の騒動によって、皇室に国民が求める「神秘のベール」は大きく破れてしまった。

 

国民は、普通の家の延長にあるような皇室を見たいのではない。まして、週刊誌やワイドショーにさらされるような皇室を見たいのでもない。

 

俗世から少し離れたところにあるからこそ、皇室は皇室なのである。

 

ところが、その皇室のあり方を議論しているのが、これまた実に俗っぽい政治家たちである。

 

そして、いま出ている改正案の中で、わしが最もおかしいと思うのが、旧皇族、いわゆる旧宮家の男系男子を養子として皇室に戻すという案である。

 

これは、本当に憲法上許されるのだろうか。

 

日本国憲法には、はっきりと書いてある。

 

すべて国民は法の下に平等であり、社会的身分または門地によって差別されない。

 

門地とは、要するに家柄である。

 

それなのに、いったん国民となった人たちを、「旧皇族の血を引いている」という理由だけで、再び皇族に戻し、国民の税金によって支えられる特別な身分にする。

 

これは、少なくとも憲法の精神に反しているのではないか。

 

もちろん、皇室は普通の国民とは違う。そこには歴史があり、伝統があり、特別な制度がある。それはわしも理解している。

 

しかし、だからといって、すでに一般国民として生きている人を、中にはバラエティー番組やYouTubeでワーワー言ってる人までいるが、そんなのも含めて血筋だけを理由に特別な身分へ引き上げることが、本当に現代の憲法秩序の中で許されるのか。

 

男系男子を守るためなら、門地による特別扱いも許される。

 

旧皇族の血を引いていれば、本人の人生も、国民の感覚も、憲法の平等原則も脇に置いてよい。

 

そんな理屈が通るなら、いったい憲法14条とは何なのか。

 

これは、愛子さまを皇位継承の議論から遠ざけるために、無理やり過去から男系男子を掘り起こしてくるような話に見える。

そこまでして愛子さまを避ける理由は何なのか。

 

国民には、そこがまったく見えない。

 

この件については、麻生太郎氏の存在が、どうしても目につく。

 

旧宮家を皇族に戻すという議論は、単なる皇位継承論ではない。血筋や家柄を、もう一度、国家制度の中に持ち込む話である。

しかも麻生氏自身は、皇室と無縁の人物ではない。

 

そう考えると、これは本当に皇室のための議論なのか。それとも、皇室の周辺にいる旧家の権威を、政治の力で復活させたいだけなのか。

 

血筋をありがたがり、家柄を振り回す。

 

その俗っぽさこそ、皇室から最も遠い。

 

そもそも、皇室典範とは何なのか。

 

いまの皇室典範は、戦後、占領下の日本でつくられた制度である。

 

もちろん、法として存在している以上、無視してよいという意味ではない。しかし、それをまるで神代から続く絶対不変の伝統であるかのようにありがたがるのは、どう考えてもおかしい。

 

皇室典範が皇室をつくったのではない。

皇室があったから、あとから皇室典範がつくられたのである。

 

それなのに、戦後につくられた条文を盾にして、皇室の自然なあり方を縛り、天皇陛下のお気持ちよりも政治家の理屈を優先する。

 

そんなものが本当に伝統なのか。

 

わしには、むしろそれこそが西洋に毒された明治以降の制度信仰に見える。

 

男系男子にこだわる政治家たちは、伝統だ、歴史だ、皇統だと、いろいろ理屈を並べる。

 

しかし、わしにはどうも、明治以降につくられた制度を、あたかも太古から変わらぬ日本の伝統であるかのように語っているように見える。

 

わしは、明治以前の皇室と、明治以降の皇室は、分けて考えるべきだと思っている。

 

明治以降、日本は西洋の制度を取り入れ、近代国家としての形を整えた。それ自体を否定するつもりはない。

しかし、その過程で、日本は本来持っていた柔らかさや、しなやかさをずいぶん捨ててしまったのではないか。

 

皇室もまた、その影響を受けた。

 

本来、皇位の継承とは、国会議員が票読みしながら決めるような話ではない。

国民以上に俗っぽい政治家が、したり顔で口を出す話でもない。

まして、世間知らずの学者が机の上でこねくり回す話でもない。

 

本当に耳を傾けるべきは、占領下でつくられた皇室典範ではない。

 

天皇陛下のお声である。

 

本来であれば、天皇陛下ご自身が、皇室の中で最もふさわしい方をお選びになる。

それが一番自然なのではないか。

 

しかし、ここで憲法の問題が出てくる。

 

天皇は国政に関する権能を持たない。

だから、皇位継承者を陛下が指名することは、政治への関与にあたるのではないか、という議論になる。

 

だが、わしはここにこそ大きな誤解があると思う。

 

皇位継承者を選ぶことは、政治なのか。

わしは違うと思う。

 

それは皇室内部の継承の問題であり、皇室の私事であり、国家権力を左右する政治行為とは別のものとして整理すべきではないか。少なくとも、そのような解釈や制度設計を真剣に考えるべきである。

 

変えるべきは、皇室典範だけではない。

 

「天皇は政治に関与してはならない」という言葉の解釈そのものを、もう少し丁寧に見直すべきではないか。

 

天皇陛下が「国民の理解が得られるものとなることを望む」とおっしゃった。

 

これは、陛下が直接政治に口を出せない中での、ぎりぎりのお言葉だったのではないかとわしは思う。

 

「国民の多くが愛子を望んでいることを、どうか考えてほしい」

 

そうおっしゃっているように、わしには聞こえる。

 

もちろん、これはわしの勝手な受け止めである。

わしもただの国民であり、皇室のことに口を出すなど、本来は不敬極まりない。

だが、それでも言いたい。

 

皇室とは、政治家の持ち物ではない。

 

学者の研究材料でもない。

 

まして、男系男子という言葉に酔った俗人たちの玩具でもない。

 

皇室は、国民の祈りの中心にある。

 

だからこそ、国民の理解が得られない形で制度をいじってはならない。

 

秋篠宮家が悪いと言いたいのではない。

 

しかし、国民の多くが感じている違和感を、なかったことにしてはいけない。

 

愛子さまに皇位継承の道を開くことは、決して皇室の伝統を壊すことではない。

 

むしろ、国民とともにある皇室という、もっと深い伝統に立ち返ることではないか。

 

占領下で生まれた皇室典範をいじり回すより、日本人なら天皇陛下のお声を聞け。

わしは、そう思う