こんにちは。
自然治癒力と免疫力でからだの不調を改善
健康ダイエットコーチの濱西です。
最近、親が子供を56してしまう事件が多いですね。
それぞれため込んだストレスや切羽詰まった状況で、豹変し行動に移してしまうものだと考えられますが、もっとも根本的なことが欠如しています。
今回は、バイオガイアジャパン株式会社 CEO 野村 慶太郎 さん fb より 最近の事件について、大変共感できる記事を投稿いただきましたので、紹介したいと思います。
参考になれば幸いです。
以下引用:
子どもが犠牲になる事件が起きるたびに、
「だからシングルマザーの再婚はダメなんだ」
「連れ子再婚は危ない」
「母親が女になるからこうなる」
と、ゾウリムシより単細胞で雑なことを言い出す人間がワラワラと湧いてくる。
違う。
問題は、シングルマザーかどうかではない。
再婚そのものが悪いのでもない。
もっと根本の話だとワシは思う。
親は、子どもを守る法的義務を負っている。
権利ではない。法的義務だ。
これを忘れてはいけない。
民法820条は、親権を行う者について、
「子の利益のために」子を監護し教育する権利を有し、義務を負う
と定めている。
つまり親権とは、親が子どもを好きに扱う権利ではない。
親の恋愛や再婚を、子どもに黙って受け入れさせる免許でもない。
親権とは、子どもの利益のために、子どもを守り育てる責任である。
そこにあるのが「監護義務」である。
結婚していようが、離婚していようが、再婚していようが、内縁であろうが、恋人がいようが、関係ない。
未成年の子どもがいる以上、親には監護義務がある。
この言葉を、世の親はもっと知るべきじゃないだろうか。
再婚相手を家庭に入れるなら、親は問われる。
その相手は、子どもに安全か。
子どもは怖がっていないか。
威圧されていないか。
無理に「父親」や「母親」として受け入れさせていないか。
子どもが嫌だと言ったとき、親は相手ではなく子どもの側に立てるのか。
ここを見ずに、
「私にも幸せになる権利がある」
だけを言うなら、それは自由ではない。
親としての責任放棄である。
児童虐待防止法2条3号も、保護者以外の同居人による虐待に類する行為を放置することを、保護者による監護の著しい怠りとして位置づけている。
つまり、
「私は殴っていない」では済まない。
「相手がやったことだ」でも済まない。
子どもに危険が迫っているのに見ない。
子どもが怖がっているのに聞かない。
子どもが壊れていくのに、家庭の平穏や自分の幸せを優先する。
それは、親の自由ではない。
監護義務違反の問題である。違法行為なのである。
子どもは、親の恋愛の付属品ではない。
親の孤独を埋める道具でもない。
再婚相手に慣れることを強制される存在でもない。
子どもは、親本人よりも優先して守られるべき一人の人間である。
だから、今回の京都の胸糞悪い事件から学ぶべきことは、
「シングルマザーは再婚するな」ではない。
そうではなく、
子どもを持つ親は、誰と暮らそうが、誰を愛そうが、まず子どもを守れ
ということだ。
報道も、世論も、そこを外してはいけない。
「再婚が悪いのか」などというくだらん浅い話ではない。
民法820条に定められた監護義務を、親は果たしたのか。
ここの話である。
もっとはっきり言えばいい。
再婚が悪いのではない。
子どもを守れない親が悪い。
家庭に入ってきた新しい大人から子どもを守る。
それも親の監護義務である。
この言葉を、もっと社会の常識にしなければならない。
親の幸せは否定しない。
しかし、子どもの安全を踏み越える幸せなど、法律的にも、社会的にも、親としても認められない。
子どもがいる親に必要なのは、恋愛の自由を叫ぶことではない。
まず、民法820条を読むことだ
