おばあちゃん記録更新中。


包括入院でリハビリを終えて退院しようとした前日に、盲腸にがんがある、といわれてもうすぐ1年。

高齢であること、歩行困難な人には抗がん剤治療は大学病院では適応しない&やることで寿命が縮む、的な内容で、内視鏡で原発付近を手術して、腸が閉塞しないようにして頂いた。

4月からは家でがんばれるように、と思ってたけど、がんと言われて頑張らせるのをやめた。


肝破裂がこわいのと、ひとりにできない、てことで8月一ヶ月弱家で過ごしてから、緩和ケアに入院して現在に至ります


入院してすぐ離床センサーついて自由にあるきまわれなくなりましたが、頭はお元気、意思もはっきり。


娘の卒業式を終えるころ、具合わるいから、と妹に言われて、わたしは実家に。

が、一時的なものみたいで、食事はすきなものならたべられる、量は少しでも、という状態で2月をすごしました。

その間にわたしに2つめの病がみつかり、検査や手術の日程をきめたり、検査にいくために行ったり来たりしたり、と集中できませんでした。


3月6日に、病院により、帰宅したんですが、この2日前には夜中に吐いたとかで食事抜いてもらったとか聞いていたから、一応炊きたてごはんと、お味噌汁と、母の好きなサラダをつくり、食べなかったら翌日面会の人が持ち帰る前提でいたので、この日も朝から調理して行きました。お魚はいいか、と焼かずに。

この日は、ヘアカットとそのあとに機械浴することになっていました

自分でスプーンも゙って、ご飯をたべてびっくりしました。

まさか食べると思わなかったからさかな焼いてへんわ、てなりました。


近々お友達がくるから、と言っていて、今週むりだと言われたお友達には、私まだ生きてるから来週にし、てゆうてん、と


とても元気でした。


が、翌日木曜日に妹が面会に行くと


受け答えができなくなり、痛みもあるようで痛み止めいれてます


といわれ。


青天の霹靂でした。


散髪、風呂でつかれたのかなと様子をみていましたが、1月の末に、早く来て!て妹が騒いだけど大丈夫だったこともあり、望みを抱いていましたが、むすめも予定をキャンセルして、日曜日に3人で病院に行きました。

大学の制服を着せていきました


娘が、もう亡くなってるかと思ったくらい、のおばあちゃんが寝ていて、娘はトイレにかけこんで泣きました。


続きます。まだ生きてます!








最近雨が多いですね。

今週は雪まで

とてもお山なので。

これはドラッグストアに寄ったとき。