エビットピアフ生誕100年の今年、素晴らしい歌声を聴かせて頂く機会に恵まれました。
ギリギリまで仕事をしておりましたが、なんとか参加させて頂くことができました。
菅原洋一さんは、御歳 81歳だそうです。
81歳とは思えない、伸びやかな歌声でした。マイウェイを熱唱され、私の隣席の方は感動で涙を浮かべていました。
20代のころ、私は、施設の仕事が好きで、皮膚科の往診にはよく行かせていただものです。
認知症があり、普段は会話ができない方が「昭和の童謡」が流れると、笑顔で手を叩きながら、唄っていらっしゃていたのが印象に残っています。認知機能は低下している方でも、わかりますか?と、うかがうと、嬉しそうにうなづかれます。
司会のローリーさんが「音楽は、不思議ですね。目に見えないけれど、人の心を動かすことができるのです」とおっしゃっていて、素晴らしい視点を持たれた方だなと感じました。
そうした、不思議な感覚に包まれた空間に浸りながら。愛の讃歌など、幼い頃から、何度も聴かされ、耳馴染みのある歌声に…、日本社会の来た道、行く道を思いました。
かつてAsiaで一番のGDPを誇っていた日本。いまはどうでしょう…。後を生きる私たちは、激動の昭和を生き抜いてこられた諸先輩方から、何を学び、どう生き抜くことができるのでしょうか。

ギリギリまで仕事をしておりましたが、なんとか参加させて頂くことができました。
菅原洋一さんは、御歳 81歳だそうです。
81歳とは思えない、伸びやかな歌声でした。マイウェイを熱唱され、私の隣席の方は感動で涙を浮かべていました。
20代のころ、私は、施設の仕事が好きで、皮膚科の往診にはよく行かせていただものです。
認知症があり、普段は会話ができない方が「昭和の童謡」が流れると、笑顔で手を叩きながら、唄っていらっしゃていたのが印象に残っています。認知機能は低下している方でも、わかりますか?と、うかがうと、嬉しそうにうなづかれます。
司会のローリーさんが「音楽は、不思議ですね。目に見えないけれど、人の心を動かすことができるのです」とおっしゃっていて、素晴らしい視点を持たれた方だなと感じました。
そうした、不思議な感覚に包まれた空間に浸りながら。愛の讃歌など、幼い頃から、何度も聴かされ、耳馴染みのある歌声に…、日本社会の来た道、行く道を思いました。
かつてAsiaで一番のGDPを誇っていた日本。いまはどうでしょう…。後を生きる私たちは、激動の昭和を生き抜いてこられた諸先輩方から、何を学び、どう生き抜くことができるのでしょうか。
