こんにちは!
初夏のシドニー、最高に気持ち良い季節です

さて、
昨夜、最近老人ホームで働き始めた友達からメッセージが来ました。私と同様に彼女もラテンダンス大好きなんです

私はここシドニーで最高の人生を送ってます
母も幸せに暮らしてます
彼女はその老人ホームの、職員への待遇の悪さや、入居しているお年寄り達への待遇の悪さを色々と書いていて、「信じられない!
」を連発してました
私は介護の仕事をしたことが全くないので、そう言われましてもあまりピンとこなかったんですね。
ま、彼女の文句はここでは割愛しますが、最後に彼女が書いたことが私の心に非常に引っかかったんです。
「やっぱり、体が動いてるうちに楽しまなきゃいけないね!」
ほ〜〜




そうなのか?



で、私はこう返信したんです。
「体が動かなくても人生楽しんでる人達は沢山いるんだよ。体じゃなくて自分の人生を大事に生きるって思いが肝心だと思う。その思いがなければ体が動いても人生楽しめないわ」
すると彼女は
「あ!間違い間違い!体が動いているうちにダンス楽しまなきゃって意味だったんだ!」
彼女とのこのやり取りで、私は改めて体に宿っている心の存在に注目したんです
私、常々思うんですが、私の体を動かしているのは実は私の心のような気がしてなりません。
父の死後、私が母と2人で住んでいた頃.......
私の体は自由でした。行こうと思えば何処にでも行けたし、やろうと思えば何でもできたんです
でも、私はがやっていたことは......
私は一人っ子だから母の側にいなければ
母の言うことを聞かなければ
母を不機嫌にしないようにしなければ
これらの思いに自分の心を支配させていたので、イヤイヤながらも、母を要にして考え行動してました
なんの趣味もなく「私自身が楽しいと感じること」を何もしていませんでした
仕事が終わればほぼ毎日まっすぐ帰宅
休みの日は母と過ごす
母と一緒に買い物
母と一緒に旅行
母と一緒に日帰り温泉
母と一緒に家にいる
仲良し親子に聞こえるかもしれませんが、私と母の関係は最悪でした
手足を鎖で繋がれている気分でした
窒息状態でした
で、そんな生活を10年続けた後、あるきっかけで初めての語学留学でオーストラリアのパースに1年ほど滞在
そこから私の人生は劇的な変化を遂げました


今思い返せば、パース滞在は私の「諦め」の第1歩だったんです
パースの語学留学の目的は英語力を養うことでした。そして、日本で英語を使う仕事につくつもりでした
でも滞在中、いずれ日本に帰らないといけないっていう思いが段々と自分を苦しめるようになってきたんです
私、その当時41歳。
ワーホリできる年齢でもなく、ビザが切れて泣く泣く日本に帰りました
日本に帰り、また過去と同じように母との生活に流されていたのですが、一つ大きな違いは「もう一度オーストラリアに住む」っていう欲望が心に宿っていたこと
そして私は遂に諦めたんです
自分を母の人生に縛り付けて、母の奴隷になり続けてきた人生を諦めたんです
「一人っ子なんだからお母さんの側にいてあげないとね」
っていう周りの人たちの声を受け入れることを諦めたんです
永住権を取得するためにシドニーに行くと言った私に母は烈火のごとく怒り、泣きわめいて私を罵倒しました
それまでの私だったら母の言うことを聞いていました
でも、その時私はどうしてもシドニー行きを諦めることができなかった
で、その後母と後味の悪さを残したまま私はシドニーに発ちました
で、あれから10年経った今
自分自身を縛り続ける人生を諦めた結果、想像もしていなかったステキな、面白い人生を送ることになりました
どんなに体を自由に動かせても、心を縛りつけていたら体も動かない。
そう、行動できないんです
おまけに、自分自身の価値さえ見失います
ここで、心を自由にしておくことがいかに人生を輝かしいものにするのかを教えてくれる人物を紹介します。
私の大好きな歌川たいじさんの過去記事です。
もう一つは、ニュージーランドの小さな島でひっそりと送っていた隠居生活を諦めた方々の活躍を
このダンスグループのメンバーを見ていると、自分の体を動かなくしてしまうのもすべて私達の心の在り方なんだと痛感します
年齢や「ハンデ」(と一般的に呼ばれるもの)は大きな壁ではないんです
それらを大きな壁と捉える私達の心が自由を奪うんです
自分の心を縛りつける「不安や無気力さ」を感じ続けることを少〜しずつ諦めて、手放してみませんか?
想像もしなかった景色が見えてきますよ
小さなストリートで見つけたステキな夏の色彩です
