今朝、大好きなブロガーのHappyちゃんの投稿に感動しました

一番の例は母です。
母に好かれたい、怒られたくない
母と回りの人達から、私はいい娘と思われたい










彼女のストイックなまでの「自分軸」「自分のニーズに応える」生き方。
この「ニーズ」っていう言葉
私、この言葉を思い浮かべると「お客様」「自分の雇い主」などなど、自分ではない第三者に当てはまるものだって感覚がありました。
「私、野林 薫のニーズ」
これを文字にして改めて見つめたら、なんだか凄く私の心が引き締まる感覚を覚えます。
うまく表現できませんが........
そうだ‼︎
コレなんだ‼︎‼︎
こんな感覚です


私、過去のブログに書いてたように、ずーっと他人の目を気にして生きてきました。
「他人が何を考え何を求めているのか」
こればかり追求してたんです。
一番の例は母です。母は私に一から十まで指示してました。
調味料やお菓子の袋を切る時は切り口をできるだけ小さく
ドアの開け閉めに音を立てない
掃除機は引きずらない
洗濯物を干す位置
お風呂場の使い方
帰宅時間
食べたくなくても三食決まった時間に食べる。
野菜を毎日沢山食べる
体の線が出る服は痴漢にあう
...........数え出すときりがないです(笑)
で、その頃「母の奴隷」だった私はいつも心の中で文句言いながらも母に従うことに人生を捧げてました。
そうです.......
ただこれだけのためにです。
でも、オーストラリアに移住して10年が過ぎ、色々な人達の考えかたや生き方から学んで、私も随分変わったって思ってたんです。
でも、今朝読んだHappy ちゃんのブログ。
「わたしのニーズ」
これを見た瞬間に目が釘付けになったんです





私、今自由に生活してます。
私のウチで何をしようが誰も文句言いません。
朝帰りしようが誰も文句言いません。
バスルームも私のやり方で使ってます。
でもこの
「わたしのニーズ」
って文字をHappy ちゃんのブログで見た時、私は本当に本気で「わたしのニーズ」に応える生き方をしてるのかって疑問を感じたんです



もしかして私、
まだ「母の奴隷時代」を引きずってないか?
.......ってね
母は特にブロッコリーが好きです
体にいいからとしょっちゅう食卓に上りました
私もブロッコリー好きでよく買います
好きだと思います.......
そう思ってました.......
でも最近、ブロッコリー買う時に「わたしはこれを食べたい」から買っているのではないんじゃない?って感じ始めたんです
体にいいから、母が食べろと言っていたから、母が好きだから...........
これを私は
「私はブロッコリー好き」
に変換してないか?って思い始めました
これを感じた時は結構衝撃でした

私、結構露出が多い服が好きです
体の線が出る服好きです
でも、そういう服を着た時に「あれ、いやらしく見えるかな?」って感じることがあるんです。
でも実際来て外出すると気分がいいし、カレや友達からも好評です
でも、服を選ぶ時に「背中が開いている服」を選びません。
でも........
本当は「背中が開いている服」着たいと思ってるんです
もしかしたら私の行動は、まだまだ「自分の母軸」から来ているかもしれない
それを意識せずに私は「私がしたいこと/したくないこと」と「母が私にさせたい/させたくないこと」を混同してはいないだろうか?
って思い始めたんです。
私は改めて自分の日々の行動をあらってみることにしました。
すると、結構出てくるんですよ。
台所の片付け方や、食品の下ごしらえの仕方、食生活、掃除の仕方 などなど
「あれ?コレは本当にわたしがやりたいことなの?」



「母から厳しく言われてたからやってない?」


「はしょっていいんじゃない?」
「今やらなくてもいいんじゃない?」
ってのがね。
そうして自分の行動や好みを見直していくうちに、私が以前あそこまで極端に「母や他の人達のいいなり」になっていた理由がわかったんです

私は「わたしだけのニーズ」を探求して、それを満たして行く生き方を追求する為に「他人の言いなり」になり自分を見失いミジメにするコントを創り上げ、悲劇のヒロインを演じていたんです。
あ~~なんかスッキリした
私の長かったコントが今、本当に終わりを告げようとしています







新しい時代の幕開けです



ノーメイクに髪振り乱してサルサしてます
今度は背中が開いたトップスで行こうかな


